2009年9月16日 (水)

企画で一番大切な力

会社の裏は小高い丘になっていて、東急線の駅への抜け道があります。

天気のよい日は、ここをテクテク散歩しますが、途中、こんなところもあるのです。

Ura

企画する仕事をしている人は世の中にたくさんいます。

商品企画だけでなく、事業企画や販売企画、生産企画、技術企画などなど

別に企画という名前がついていなくても、どんな仕事も何かしらの企画をしているはず

で、よく企画に必要なスキルは何?企画に適している人はどんな人?と聞かれます。

強いて、ひとつだけあげるとすれば、

”コミュニケーション力”だと思います。

情報収集も分析も構想も提案も推進も、

全てはコミュニケーションがエンジンになる。

当たり前すぎるけど、もう一度それを肝に銘じるべき。

本当のコミュニケーションが成立している時って、

とても気持ち良い空気を感じるものです。

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2009年7月31日 (金)

消費の価値の変遷

昔は所有することが重要でした。

オーナーになるということが目標であり、

所有するということが喜び、という時代がありました。

次の時代には、使うことこそが価値となりました。

持っているだけでは宝の持ち腐れ、

使ってこそ、使い込めば使い込むほど、それを所有した価値ができると。

そして今は、その道具を使って何を創るか?こそが価値である時代です。

”買ってなんぼ”の時代から”使ってなんぼ”へ、そして”創ってなんぼ”の現在。

僕も、モノの魅力に取りつかれて数えきれないモノを所有してきたけど、

それらで、何を創ってきたか?と考えてみると、

自信を持って言えるものって、そんなには多くはないです。

そろそろ、物欲から脱して、農業でもやろかなぁ・・・やらないと思う・(^_^;)

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2009年5月 4日 (月)

ベテランの落とし穴

River

おしゃれなレストランにはつきものの、黒いスーツをまとったベテランウェイターさん。

メニューや料理を持ってテーブルの間を行き来するときの、

若干上半身を傾けながらの踊るような振る舞いは、

セカンドを狙って一塁のだいぶ手前で一旦外に大きく膨らんで走るような感じで

全てが頭に入っていて、先の先まで予測できていることが現れています。

メニューを指差す手の出し方もスマート。

そのあまりに隙のない振る舞いに、好印象を持てないことがあります。

きっと手馴れすぎているからだろうと思います。

形が出来過ぎているからなのかな。

オーダーを聞きながらも、視覚のどこかで別のテーブルの状態も把握しているぞと。

それが分かってしまうと、いくらソツがなくても、なんだかうれしくなくなる。

満面の笑みで、相槌のタイミングも如才なく、物腰も柔らか、周囲への目配せも抜かりない。

そんな絵に描いたようなお手本的営業マンが、なんかうっとおしいのと同じ感じ。

人間って、わがままなもんです。

プロのサービスを期待しているけど、

プロの振る舞いがあまりに板につき過ぎているのはやだ。

ところでディズニーランドでは、

毎年ダンサーの審査を新人からベテランまでしているんですって。

普通はベテランになればなるほど楽勝であるはずですが、ここでは逆。

踊りズレしてしまったダンサーはNGなのだと。

あーなるほどなぁ、と感心しました。

流れるような所作、隙のない笑顔とあいさつ。

それによって伝わりにくくなってしまうものがあることを、肝に銘じておくべきなんでしょう。

ベテラン企画マンも、意地悪く突っ込まれることも想定して、

隙のない企画書を書くことができるようになってきますが、

そういう企画書ばかり書いていると、勢いがなくなってくるので要注意です。

黄金週間も後半に突入!

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2009年5月 1日 (金)

コンテンツの力

六本木ヒルズ51階 ちとセレブなランチ 左は東京ミッドタウンです

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日々、進歩し続けるWEBの世界こそ、

「テクノロジーに振り回されないで、コンテンツの力を信じること」

が大切だと、この頃つくづく思ってます。

WEBの世界では、最先端のテクノロジーを駆使したツールを

誰よりも早く取り入れていなかないと、あっという間に遅れをとってしまう、

と、なんとなく思いがちです。

毎日ネットを検索して、

こんなサービスが始まるとか、

こんなテクノロジーが開発されたとか、

そういうことばかりに振り回されている人をよく見かけます。

でも、

「コンテンツの力にこわだることが、どんなテクノロジーやマーケティングよりも大切だ」

と改めて思いたいです。

セカンドライフでもブログでもなんでもそうですが、

「もう古いよ、これからは○△さ」なんて言う人もいますが、

古いとか新しいとか、あんまり関係ないんですよねー

興奮型の単発的な仕掛けであればそれもアリですけど、

感動型の中長期的なリレーション作りにとってはなおさら。

で、WEBの最先端で活躍されている方々と交流する機会が最近多いのですが、

そういう人ほど、その辺十分わかっていらっしゃるんですよね。

テクノロジーだけ追いかけても疲弊するだけです、なんてしら~っと話します。

そこについていこうとしている遠くの人が焦っているという図式。

”今さら”なものでいいじゃない。

枯れたテクノロジーを使って、面白いことやってみようじゃないの!ってね。

で、すこし余裕をもって、最新のテクノロジーを楽しめばいいのだと。

鉄分補給だけ考えてレバー食べてもおいしくないし・・・(*^_^*)

ちょっと散漫な内容になっちゃったな

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2009年4月 9日 (木)

Co-Create

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Co-Create

企画に大切なこと。日本語でいえば、「協創」。

もっと平たく言えば、”叡智を集める”ということ。

自分の才能だけに頼った企画は、次第に枯渇していく。才能にも限界はあり。

しかし、他人の知恵を集めて組み合わせて磨く、という作業は枯渇しない。

人との出会いがある限り、無尽蔵。

パワーを借りて、知恵を借りて、新しく組み立てていくコーディネイト力。

アイデアの編集力が問われる時代なのだと思う。

ネットワーク環境の進展が、それを加速させていく。

ここまでは、現代の正論。

その中で、あえて自己のアイデアに固執するのも一つのスタイル。

それがライフワークであり、その人のテーマとなる。

つらいしリスクも高いけど、その頑固さが魅力にもなる得る。

職人的な企画者に多いパターン。

ところで、”きょうそう”に、あえて共創という言葉を当てはめなかったのは、

「共想」、「競争」、「協創」を意識しているから。

共想・・・共にビジョンを想い共有化して

競争・・・切磋琢磨しあう競争という良い緊張感をキープして

協創・・・叡智を結集して新しい価値を創造する

という語呂合わせを、今日電車の中で考えたのでした。

こういう結婚式スピーチの「5つの袋」的語呂合わせでしたり顔になるのは

オヤジ臭いので、控えなくちゃ!(*^_^*)

あ、「協奏」というのもなかなか良い言葉だなー

狂騒、強壮、とかって、おいおい・・・

今日はこの辺でおしまい

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2009年3月31日 (火)

改めて、ディズニーランド哲学

某OSメーカーでの講演の帰り道。 都庁を後ろから見上げる図。

カメラはIXY DIGITAL 210IS BlackBody

Tocho

あるきっかけから、久しぶりに、ディズニーランド精神に触れる。

人間を感動させる手法は「コミュニケーション」と「テーマ性」の2つであるという。

人間が担当するのが「コミュニケーション」であり、モノが担当するのが「テーマ性」。

実感。

”感動にテクニックは不要。心のこもった笑顔と挨拶があればいい”

という確信。

***************************

「サービスにはリスクが伴うものだ。

まず自分をしっかり守っておいて、

余ったところでちょっとサービスしておこうというのは

本当のサービスとはいえないのだよ」

サービスだけでなく、環境対応とか顧客満足とか社会貢献とか、ありがちな考え。

***************************

ポリシーはポリシー、現実はね、ということをやりはじめるとブレていく。

些細なことでも、毅然とした態度でこだわることから、哲学は浸透していくのだ。

当り前のことだけど、最近そういう”大人の選択”をしがちの傾向あり。修正修正っと。

何年経っても色褪せない、むしろその価値がより高まっていく理念。

あまりのアメリカ型経営スタイルで食傷気味であった時期もあったけど、

やはり改めて見直すと、素晴らしいなぁ、と感心させられます。

何十年も前に構築された考えに、今も学べることがたくさんありました!

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2009年3月22日 (日)

講演は引き受けること

京セラ製セラミック手動ミルに、HARIOペーパーフィルター(1-2杯用)

自分だけの楽しみで挽くコーヒー

川崎の珈琲豆専門店ブリーズコーヒーで買う「トラジャ・ピーベリー」が最近のお気に入りです。コク、深みがあってどっしりした味なのに、苦味や酸味がなく、胸やけしないのです。あと、酔うほどの香り。コーヒー飲んだぁ、と満足できるのです。でも、浮気症なので、まだまだおいしい豆の探求は続きますが・・・happy01

Mil

最近、立て続けに外部で講演を頼まれて、しゃべっております。

こういう機会は重なる時は重なるもので、集中します。

有料のセミナーとか、企業内研修とか、フォーラムのパネリストとか様々ですが、

大抵持ち時間60分程度。

好き勝手にブランディングを基軸にした企画やコミュニケーションのことを語っています。

たまにはマネジメントの話もありますが、人に教えるほどのものは持っていないです。

人前で話すということは、自分の考えを整理して見直す最高のチャンス。

話す準備をしながら新しい発見をすることもよくあること。

若い人はどんどん人前で話すチャンスを自ら作り、活かすべきですね。

それと、話す立場になるとよくわかりのですが、

聞く人は聴き方によって得るものが大きく変わりますね。

どんだけためになる話かどうか聞いてやろうじゃないの?

という姿勢で聞いて得るものはもちろんあります。

が、せっかく時間を使うのだから少しでも良い話を聞き出したい、

良い時間を過ごしたと思えるようにしたい、というスタンスで参加すると、

きっと話し手の器や技量以上のものを得ることができるのです。

ちょっとわかりにくい説明ですが、これ絶対大切なことだと思っています。

観衆が、役者を乗せて技能以上の演技を引き出してしまう、という感じかな?

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2009年3月 9日 (月)

リーダーかスタッフか?

最高のペンケース、というかペンホルダー。ペリカン純正のものは高価で仰々しいので、気軽に収納できるペンケースを探していましたが、今日丸善ラゾーナ川崎店でぴったりのものを見つけました。UNITED BEESというブランドのもので質感も上々本革製2100円なり。満足!

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・A or B   → Leader

・(A+B)÷2 → Staff

尊敬する経営者から、「その人がリーダーに向いているかどうかを見極めるポイントがあるから覚えておくといいよ」と教えていただいた話です。AかBという二つの案があったときに、足して2で割ったようなディシジョンをするのはスタッフ型の資質。どちらかを選ぶのがリーダーの資質であると。正しいかなんてどんなに立派な経営者だってわからないときはわからない。でも、決めるのがリーダーたるものだということです。わからないから両方の良いとこどりをしたような中途半端なディシジョンをする人はリーダーには向かない、というです。

「上司がファジーだと部下がビジーになる」ちょっとオヤジくさい洒落だけど、言い得て妙といえそうですね。

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2009年3月 7日 (土)

凡庸であること

結構な年季の入った文具好きです。万年筆はあまり深入りしないようにして(絶対はまってしまうことがわかっているので)、もっぱらカジュアルな鉄ニブを愛用してがしがし使っています。今まではLAMYサファリを愛用してきましたが、最近のお気に入りはこちらです。PELIKANのペリカーノ 一本2100円なり。学童用に作られたモデルで、その手のものは他にもあるのですが、これが一番ファッショナブルですっきりしています。なんといっても、カラーが選べるので、僕は赤、青、緑ごとにインクの色も赤、青、緑と合わせて使っています。わかりやすいでしょ!ペン先はMを選択し、細身のサインペンのような使い方をしています。(Fしか置いていない店のが多いの要注意)ペリカンはスーベレン400も持っていますが、こっちのが出番が多くなってます。サファリも捨てがたいけど、こっちもいいですー!

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「凡庸とかオーソドックスと言われるということは、より多くの人と同じ目線でものを見られるということ、つまり共感し合えるということ。それが私の一番の強みなんじゃないか」

村山由佳さんが、著書「天使の卵」で選考委員の一人に「よくぞここまで凡庸さに徹することができると感心させられた」と言われたことに対しての感想。

何かを作り出す仕事をしていると、新しいことにこそ価値があると思いがち。

「なんか普通だね」「ひねりが足りないね」「教科書通りだな」などというコメントは、クリエイターとしては、全否定されたような感じになります。

が、普通のことを普通に徹底することで感動させる価値、というのもあるのだと改めて思いました。その「徹底さ」に普通でない価値があるのだと思います。

”新しいかどうか?”ばかりに気を配りすぎると、本来の目的を見失ってしまうかもしれません。血気盛んなクリエイターにそれを理解させることは、それはそれでなかなか大変なのですけども。

と、改めて考えさせられた言葉でした。

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2009年1月27日 (火)

形態共鳴

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耳慣れない言葉かもしれませんが・・・「形態共鳴」

生物学で、遠く離れた場所の動物が、一斉に同じ行動を起こすことを形態共鳴というそうです。学問や研究、または芸術、企業活動の中でも同じようなことがあります。何百年もわからなかった理論が、ほんの数時間の差でまったく交流のない別々の場所で発表されたり、ほとんど同じ内容のパテントがほんの数時間の差で提出されたり。もちろん、探っていくとどこか幹になるきっかけがあったりすることもあるわけですが、どう考えても説明がつかないようなことがあるのですね。数百年も見つからなかった答えが、ほんの数日の差で全く別々の場所で見つかる確率は、ほとんど天文学的なものでしょう。その偶然をどうとらえたらいいのか?ある人は、アイデアや発明は、時代の要請によって生まれるのだ、といいます。

話はかわって、何かアイデアを考え付いたら、3000人くらいは同じことを考えている、ということを以前書きました。でも、それを実行に移そうとする人は300人くらいで、最後まであきらめない人は30人程度。その中で成功できる人が3名くらいになるという話。ちょっとしたアイデアを思い付いても浮かれちゃだめだよ、そういうこと考えているのは貴方だけじゃないからね、という戒めにもとれます。が、別の見方をすれば、とにかくアイデアを考え付いたら、取り組んでしまえば、成功の確率は10倍に増える、ともいえるわけです。で、最後までとにかくやってみれば100倍に増える。最後の30人に残れれば、もうそこまでいけばあとは運を天に任せてもいいでしょ、という気分にもなるんじゃないかな。

思いついたら、まず行動すること。その最初の一歩の早さが、あとで大きな差になるのですね。考えたら、まず動いてみることが大切なんだよな。そうすると色々な反応、反響が返ってくるので、もう一度考えられる。だから、年初に考えた”Do”なんです。

で、最初の戻って「形態共鳴」。これも生存本能なのかなぁ・・・最後は支離滅裂sweat01

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2008年12月29日 (月)

企画の筋トレ

年末の1クリック、よろしくお願いしますhappy01

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野毛まで鰻のかば焼きを買いに出かけた 快晴の師走

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昨今、企画者の基礎体力が低下しているなぁと感じます。

上手な企画書はたくさん見ますが、胸がざわつくような企画書が少ないという感じ。

企画書に狂人的な凄味が感じられない、というとちょっと大げさかもしれないけど。

それって、基礎体力が落ちているのでは?と思うのです。

基礎体力をつけるのは筋トレ。では、企画の筋トレってなんでしょう?

私の場合は、家電から文具、自動車、衣服、さまざまな生活用品に関する企画書。

そして脳内企画会議。

そんな筋トレが自分にとっての、企画の鮮度を高める方法です。

一番簡単なのは、自分がなにか買い物をするとき。

なかなかこれというものが見つからないことはよくありますよね。

一長一短、ここはいいけど、ここがいまいち。

なんで、自分の求めるものにピッタリくるものがないのだろう、と思うことはよくあります。

大抵はある妥協をして、どれかを選択するのですが・・・

そこで自分の求めるものをなぜ作らないか?作ったらどうなる?と考えていくのです。

車高があってアイポイントが高い車がいいけど、機能的にはセダンがいい。

でも、ワンボックスやRVしかないんだよなぁ。

4名乗りで十分だし、オフロードなんて走らない。

なんでアイポイントの高いセダンってないのだろう?

とか、なんでもいいのです。

そうすると、あ、あの車はそこを狙っているのか、とか、

でもその割にはここが変じゃない?とか、

いろいろなことを考えていける。

あるべく門外漢の分野で素朴な疑問をぶつけていくこと。

そして、それをネタに企画書を書きあげてみること。

筋トレは地味ですけど、継続していると、勝負所で力を発揮するものです。

だから、自分なりの筋トレ方法を持っている人って、侮れない。

のんびり長い休暇中、こんな筋トレで凝った頭をほぐすのも、いいと思います。

何歳になっても、筋トレはやめない。

だから若い奴らにアイデアでは負けないぞって、立ち向かえるのです。

(ちょっとエラそーでしたか・・・coldsweats01

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2008年11月11日 (火)

過大評価する

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「肯定的幻想は好循環を生み出す。幻想が確信を与え、確信は安心感につながり、安心感は親密さを育む。親密さは愛情をより深める」マーカス・バッキンガム

過大評価することから、ポジティブなサイクルが回り始める、ということです。

組織を動かすリーダーは、冷静にメンバーの能力を見極めることが求められますが、冷静に見れば見るほど、不安になって仕事を任せられなくなります。そして、ついつい任せたと言っておきながら、口を出してしまう。過大評価できる、ある意味での”にぶさ”が組織の力を発揮させることがありそうです。

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2008年8月27日 (水)

正しいことをやるな

夜の多摩川、花火見物の帰りに一枚。羽田に着陸する飛行機の残光も。

Moon

正しいことというのは、論理的なことです。

論理的な考え方というのは訓練すれば誰でもできるようになります。

誰でも考えられるということは、みな同じロジックを構築できるということです。

論理的に正しいことを積み重ねていくと、同じような結論がたくさん作られます。

しかし、クリエイティブにとって、同じことに価値はないはずです。

ですから、正しいことをやっていても何も生まれない、創れないのです。

というような話を、昨日あるクリエイターと話しました。

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2008年7月12日 (土)

企画の評価

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企画が良かったか、悪かったか、何で判断すべきでしょうか?

たくさん売れれば良い企画?

売れてなんぼの世界ではあるけど、

でも商品が売れるのは、開発、生産、販売、サポートなどが様々に関連すること。

買った人の満足度が高ければ良い企画?

癖のある商品ほど満足度は高くなります。

その癖に惹かれて買ったか、その癖を我慢してでも欲しい別の魅力があったのだから。

いろんな賞を獲れれば良い企画?

新しいコンセプトで多くの賞をとったけど、

ビジネス的にはまったく失敗だったという商品もたくさんあります。

というように、その企画が良かったか悪かったかは定量的に測ることは困難です。

が、会社の中ではそれを求められることが多いことも事実。

企画が失敗したときの悔し紛れの言い訳は

「時期尚早だった」ですが、これは暗に

「一般ピープルより先に進みすぎちゃったんだよねぇ」

と最先端にいる自分を認めさせたいだけ。

回答のない、独り言でした。

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2008年7月 4日 (金)

炊き立てのご飯

Rice_2良いお米で上手に炊けたご飯は、もう充分それだけでおいしい。贅沢な料理はいくらおいしくても繰り返せば飽きてくるけど、ご飯は毎日食べていても飽きることはない。(同じ主食でもパンは飽きることがあるんだよなぁ)しかも、それ自身でおいしいという自存性を持っているだけでなく、おかずの味も引き立ててくれるという触媒的な役割も発揮する。ベーシックな商品の価値は、そんなご飯と同じだと思います。スペック競争はおかず競争。他にない食材、味を探し出し、ほらおいしいでしょう!と訴える。飽きられる前に、次のおかずを探し出す。味もだんだん濃くなって刺激が強くなってくる。でもね、本当においしいご飯さえあれば、おかずは塩サケとかタラコの一竿もあれば十分なのです。企画も同じ。おかず探しの競争の前に、良いお米を育て、おいしいご飯の炊き方をちゃんと考えなくてはいけません。ご飯の味で勝負できるものが、あきられずに残っていくと思うのです。

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2008年6月26日 (木)

最高のチームといおう!

浜離宮前踏切~銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機

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唐突ですが、

リスペクトできる仲間と一緒に仕事ができるのは幸せです。

誰でも長所短所もあるのだけど、そういうのを全部飲みこんだ上で

“最高のチーム“と言えたら素晴らしいと思います。

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2008年4月 3日 (木)

スーパーで買う有名土産品

多摩川六郷橋の川崎側の橋下でシーバス狙いのアングラーを数名発見。

お父さんが大物を釣り上げてくれるのを待って、大きなタモをかたわらに置いて

待つ子供。でも、春の陽射しでいつの間にか、うとうと・・・

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今度、僕も行ってみようかな?と思っていますが、昔に比べて綺麗になったとはいえ、この辺でウェーダー履いて立ち込んで釣る気にはなれない。多摩川には相当数の鮎が遡上してきています。もっともっと浄化されて、子供が水遊びできるようになるといいなぁ・・・

ところで、近所のスーパーに行くと、「かもめの玉子」というお菓子が売っています。以前は東北に旅行にいったときによく買っていました。超有名菓子でいろんな賞もとっているはず。なんでこういうお菓子をスーパーに卸してしまうのか・・・売上は一時的に上がるのは確実ですが、商品価値が下がっていくのも確実。おいしいお菓子なだけに、残念。

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2008年3月27日 (木)

ハインリッヒの法則

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■「ハインリッヒの法則」一つの深刻な事故の裏には、表に出てこない29の軽い災害があり、300のひやっとした経験がある。アイデアも同じ。これは!と思うようなアイデアを考えたら、同じことを考えた人が300人はいて、それを実行に移した人は30人はいて、成功するのはその中の一人である、ということ。

■セブンイレブンのロゴの最後のNは小文字であることを知っている人は意外と少ない、らしい。⇒ SEVEN ELEVEn ですね。親父の薀蓄ネタにどうぞ・・・

■インターネットの成功企業googleでは、社員旅行を長く続けてきた。おたくエンジニアの巣窟にならないように、社内のコミュニケーションには特に配慮してきた一つの現れ。結局、毎年社員が増えていくので、3500人までは続けたという話。3500人の社員旅行って、壮観でしょう!

■糸井重里さんの手帳には、i (いい考え)× t(技術) = G(良いこと) と書いてあるんですって。いいことを考えても、それに技術を加えないと、かたちにもならない。という教え。

今日は、最近メモしたネタを並べてみました。写真も意味なく掲載・・・

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2008年3月22日 (土)

ラグジュアリーブランド

今日は、知り合いの父親のお通夜で、新潟まで日帰りで行ってきました。「大変だねぇ」と話しかけた人が、その知り合いの双子の一人と気が付いて焦った・・・

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エルメスとシャネルではモードに対する距離のとり方が全く違う。

「ブランドの条件」山田登世子(岩波新書)

ヴィトン、プラダ、エルメス、グッチ、シャネルなど、高級ブランドとして一緒くたにして論じてしまいそうですが、それぞれの起源から現在のスタンスを見極め、ブランド論・贅沢論につなげている面白い本だった。これは是非お薦め!

シャネルは貴族の宝石好きを、「首から小切手をぶら下げるなんてシックじゃない」と喝破して、イミテーションを積極的に取り上げる(しかも高価!)話など、刺激があっていろんなヒントが満載です。

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2008年3月15日 (土)

BOP

桜満開~散歩していると早咲きの桜に出会えます

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BOP=Bottom of the pyramid

経済的なピラミッドの底辺にいる人たちを指す言葉です。

世界中で1日2ドル以下で生活している貧困層は40~50億人いるという。

そのような層を狙ったマーケティングがこれから重要になってくる。

低所得者向けに安価なラインナップを増やそうという従来の拡大路線ではカバーしきれないほどの環境格差、所得格差をどう乗り越えるか?が課題です。バングラディッシュの無担保融資銀行なども一つの取り組み方として注目されていますね。ボランティアではなく、ちゃんとビジネスとして長期的に見据えた取り組みをしないと継続できないことです。短期的な結果を求められるビジネスの中で、どのように腰を据えて取り組むか?経営哲学とマーケティングセンスの勝負です。

富俗層が注目を集めているときに、今、”超”貧困層に注目。

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2008年3月 7日 (金)

ABC

おー、肝心の龍馬さんの銅像を忘れていた~桂浜

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コンビニで本を立ち読みしていたら、日経アソシエの付録が”格言集”の小冊子だったので、ぱらぱらとめくってみたら、”ABC”というのを見つけました。読者からの投稿のようで、なんだこれ?って見てみたら・・・・

A・・・当り前のことを

B・・・馬鹿にしないで

C・・・ちゃんとやる

うまい!座布団一枚!(笑)

サラリーマン川柳の臭いもあるけど、面白いよねー

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2008年1月31日 (木)

絶対数学

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「その数学が戦略を決める」イアン・エアーズ著(文藝春秋)を読む。

一見関係がなさそうなものが極めて高い相関を持っているという話。

しかも、専門家が分析した予測よりも、きわめて単純化した統計データの方が、

”例外なく”当たる確率が高い、というのが興味深い。

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2008年1月25日 (金)

対極にいる顧客

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狙いの顧客から徐々にユーザー層を拡大していくというマーケティングは常套ですが、全くの対極に次なる大きな顧客層が隠れていることがある、ということは多くの事例からも明らかです。赤ちゃんようスキンケアが若い女性に売れ、大画面TVが1ルームマンションに住む独身に売れ、小児用リポビタンが受験生に売れ、などなど。

隣の顧客層へはほうっておいてもじわじわと広がることもありますが、対極の層への広がりはなんらか外部からのトリガーが必要です。そこにマーケティングの妙があります。

先日の続きですが、納得の1フレーズ・・・

”うまい料理人が作る普通の料理がうまい”(深沢七郎)  わかる気がする

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2008年1月22日 (火)

顧客歓喜は人が創る

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CS(Customer Satisfaction)=顧客満足度の向上は、仕事のプロセスをしっかり構築して組織能力で実現できるものです。しっかりと観察し地道に分析する中から、ユーザーの使い方や不満点が見えてくるからです。だから観察のコツ、分析のテクニックを学べば誰でもできるし、分業も可能です。

しかし少し前から、満足させるだけでは不十分であり、顧客を歓喜させるような価値提案が必要であるということで、CSならぬCD(Customer Delight)=顧客歓喜という言葉が注目されていました。このCDというのはCSの延長、強化したものと考えると誤ります。

歓喜できる価値のアイデアは一握りの人にしか見つけられない、と経験上言い切ります。

ということから、マネジメントとしてはCSは組織プロセスのマネジメント、CDは人選と権限委譲のマネジメントスキルが求められます。しかし、まだまだこの2つを混同してひとつにまとめて論じる、取り組む人が多い。

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2008年1月16日 (水)

パートナー

タイヤ公園 子供の頃からあるけどゴム臭いので好きじゃなかった(笑)

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「消費者」という言葉は、私作る人あなた使う人という区分けのイメージが強すぎるので、最近は違和感を感じて使うのを避ける人も多くなってきた。それで、代わりに「生活者」なんて言い方をするケースもある。最近では「パートナー」と言う人もいる。(そこまではどうかと思うが、意図はよくわかる)

言葉は時代によって変わっていく。

知り合いのブログで紹介されていたので深沢七郎著「生きているのはひまつぶし」光文社を読んでみた。生を受けたことに感謝なんてしないね、仏教なんてインチキだ、富士山よりヌードの方が奇麗、などと小気味良い話が満載。面白かった。これに触発されて、昔読んだ勝小吉(海舟のお父さん)著「無酔独言」とか勝海舟著「氷川清話」をもう一度読み返してみようかな、と思っている。

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2008年1月12日 (土)

京都の湯豆腐は何故高いか?

最近流行りのビジネス系新書っぽいタイトルにしてみました(笑)

でも、湯豆腐の原価や利益構造を分析するわけではありません・・・

若いころは神社仏閣などは足早に通り過ぎてしまう方でしたが、

最近は写真への興味と共にお寺巡りも楽しめるようになってきました。

北志向が強い自分ですが、京都もこの年になって少しづつ楽しめるようになってきました。

で、昔から思っていたことですが、

「京都の湯豆腐はなぜ高いのか?!」

です。

Yutofu

確かにスーパーで買う豆腐よりおいしいと思いますよ。

でも、でも、たかが豆腐じゃん!

そこに田楽(これも豆腐)と形ばかりの精進揚げが2,3点ついて

ご飯とみそ汁セットで4000円はないだろうって、思いませんかぁ?

「老舗」「佇まい」などの暖簾代、場所代込みだとしても、です。

国際観光都市というポジションに胡坐をかきすぎじゃあないかぁっ!(笑)

しかも、火に油のように腹立たしいのは、ガイドブックで

「京の湯豆腐が3000円とリーズナブルに楽しめるお薦めランチスポット」

なんて、その商売に取り込まれて紹介していること。

ライターはほんとに湯豆腐3000円でリーズナブルと感じるんですかね?

なんか感覚ずれてないかなぁ、だって今・・・

東京で4000円でランチ食べようと思ったらどのくらいのものが食べられるか?

と考えちゃうんです。

国産ヒレ牛ステーキをメインにしたフルコースだって食べられる値段です。

銀座のゴージャスなお店でフカヒレ豪華ランチコースだっていけますよ。

ついでに書くと、京野菜っていうのもイメージ先行しすぎじゃないでしょうか?同じくらい新鮮でおいしい長野や那須の高原野菜だったら、山盛りたらふく食べられるのに、”京野菜”という名前が付いた途端に、高価な食材になってしまうような気がしてますが、なにか隠されたマジックがあるのでしょうか?

ということで、

いかにこだわりの出汁、豆腐を使っていても京都の湯豆腐は高すぎ!の結論に至る。

そこで

老舗湯豆腐と変わらぬ味で、豆腐の量は2倍!価格1280円!

という設定で勝負をかける人が現れないかしら。

京の味のわからん無粋な考えだと笑われることを覚悟して、

京料理のユニクロ出現!湯豆腐の価格破壊王 です。

以上、京の”粋”とは縁遠い、ただの豆腐好き人間の戯言でしたぁ~

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2008年1月10日 (木)

消費のクリエイティブ

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クリエイティブは物を生み出す側だけのものではない、と糸井重里さんの日記で読む。

何を選択してどう使いこなすかに、消費する側のクリエイティビリティが試される

豊かな時代だからこそ、ですね。

その前に、膨大な情報の中から必要なものだけを探し出せる”臭覚”が必要。

”選択力”といってもいいかもしれませんね。

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2008年1月 8日 (火)

競争優位な基本戦略

今年の年賀状を見返していて、写真印刷が以前よりも少なくなっていることに気がつきました。やっぱインクジェットのインク代ばかにならないし、時間もかかるからなぁ、みんな学習しているんだろうなぁ・・・と思ってみたけど、単にみんな年取って年賀状にするような子供の写真も撮れなくなっただけかも、って気がついた。

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          六郷から川崎を望む~朝夕だけのかもめのサンクチュアリ

マイケル・ポーターは、事業戦略には結局のところ3つのパターンしかないと言う。

(1)コストリーダシップ戦略(低価格戦略とは異なります)

(2)差別化戦略

(3)集中化戦略

シンプルでわかりやすい分析。ただし、競争に勝つことは、経営の最優先課題ではないということも同時に知っておいて欲しいと思います。シェア・売上・利益が競合よりも少ないこと自体は、経営課題でもなんでもない。競争に勝つということ自体には顧客という視点がないということ、そして競合に振り回されることになるということ。だから、勝つことに一喜一憂してはいけない、ということです。

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2008年1月 6日 (日)

Premium

          低空でホバリング中のヘリをVR18-200mmレンズで捕らえる

Heri

                                (周辺光量落ちが気になりますが、こんなもんでしょうか?)

プレミアムとは機能的価値<Quality>と情緒的価値<Emotional>が高いレベルで融合したときに生まれるブランド価値です。機能的価値が高いというのは、単に競合他社と比較して優っているという次元のものでは不充分で、“レベルの違う上質”を約束できるものでなければなりません。また情緒的価値は性能・機能では表せない歴史・思想・理念・こだわり・行動、そして何より語り継がれる顧客をバックボーンとした商品周りのあらゆるものから形成されるものです。いわば、究極のモノ作りと究極のストーリーがプレミアムブランドを育てていくのです。

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日本でプレミアムブランドが育ち難いのは、この情緒的価値のストーリーがないことと、あってもそれを伝える適したストーリーテラーが不在であることが大きな要因でしょう。ストーリーというと開発ストーリーがすぐに思い起こされるかもしれませんが、実はストーリーは顧客が作っているのです。上質なストーリーを顧客が作り、それに触発された限られた感度を持つ人たちが新たな開発に挑戦し新しい驚きを創造することで、次のストーリーができていくというプロセス。

香港で食べる中華料理がおいしい理由は、料理人の違いだけでは説明ができません。シェフを日本に連れて来ても、食材を輸入しても、長期的に見るとあの味は育たない。なぜなら、香港の顧客が香港の味を作っているからです。顧客の高い要求があるところに、高いレベルの味が生まれるのだということです。(食については門外漢なので的外れな引用かもしれないけど、言いたいことはわかってもらえると思います)

レクサスは高性能だけど文化とか思想が今は感じられないのです。日本の自動車メーカーとして、今後は世界の高級車市場に次のビジネスチャンスがある、というマーケティング戦略は理解できるけど、マーケティング戦略に顧客が共感はしてくれるわけではないのです。欧州車の歴史、文化(情緒的価値)に対抗して、いくら高性能、高機能(機能的価値)を実現しても、RESPECTはされるブランドにはなるけどPREMIUMにはなりません。単なる高級品、贅沢品としてラインナップを増やすだけです。もちろんトヨタもそんなことは百も承知なので、ショールーム作りを初めとして、ホスピタリティを重視した施策を進めているので、レクサスも昔のバブリーな高級車に比べて多少は品のあるブランドの香りは感じられます。でも、今はまだそれも巧妙なマーケティング戦略の一つとしか見えてこないというのが限界。言葉を変えれば、メーカーのこだわりではなく、広告代理店が作ったプロモーション戦略に見えるということ。実際にそうだあるか否かは関係なく、です。そう感じられるうちは本当の共感は生まれないと思うのです。レクサスを否定しているわけではありません、腰を据えて時間をかけて気づいていかないとプレミアムブランドにはならない、というです。

日本発プレミアムブランドをもっともっと作っていくべきです。

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2007年12月28日 (金)

団塊って呼ばないで

団塊世代が一番嫌がるのは、”団塊”って呼ばれること。

既定のレッテルを貼られる不快感は誰でもあるものです。だから、シルバー向け、初心者向け、女性向け、なんていうのが前面に出すぎたものは拒否されてしまうことがよくあります。なんか押し付けがましいし、勝手に決めるなよ、って気がするのです。

話変わって・・・

大衆から小衆、分衆へ、モノから物語消費へ、機能から感性へ、マスからぺルソナへ、というメッセージは、20年以上も言葉を変えて言われ続けてきています。そして、それを示す様々な事例も紹介されるのですが、でも実は、同じ事例が、古典的な大衆に向けたマスプロの理論でも説明できてしまうということを、知っておくべきです。ムードに流されて、かっこいいキーワードに迷わされないこと。

21owumbf9yl_aa115_1 川端裕人著「エピデミック」読了。エンターテイメントとして読み応えのある作品。映画化したら面白いだろうな。(映像的にはちょっと地味かもしれないけど、今の流れから充分いける)

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2007年12月 3日 (月)

スローカーブを投げる

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DogCafe

勝負どころでスローカーブが投げられることってすごいことだと思いませんか?

打たれたときのダメージは大きく、速球勝負したときよりも後悔も大きく、後に引きずる。

それでも、あえて抜いた球で勝負をすることを選ぶということは、

よほどの自信と、勇気と、確信がなければできないと思うのです。

バレーボールでも、フェイント攻撃が要所で効果的ですが、

攻め倦んでフェイントで逃げようとした時は、

拾われて、逆に相手にチャンスを与えてしまうことが多いのです。

精神的には、強打と同等以上の攻めの気持ちが必要なのです。

(→実は、中学の時はセッターやってたんです・笑)

いずれにしても、中途半端にスローカーブは投げられないということ。

それだけに、勝負所で力を抜いた攻めができる人には、凄さを感じるのですね。

世阿弥の言葉に”修・破・離”というのがあります。

しっかり底力をつけた()うえで、その形を壊し()り、自分の道を追求する()。

だから、抜いた勝負がカッコいいと思って、いきなりスローカーブから入ると

手痛い目にあることは必定です。

しっかりとした修得あっての”軟攻”なんですね。

といいながらも、どちらかといえば

ズドンっ!と腹にこたえる重たい直球勝負の作品が好きなんですけどね(笑)

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2007年11月29日 (木)

興奮と感動

          1

興奮とは、普通でない刺激を与えられることで感じるもの

感動とは、普通のことを素晴らしくやることで生まれるもの

だから、興奮は慢性化し慣れてしまうけど、感動は劣化しない

背中に回したグラブで球をキャッチするテクニックで観衆を興奮させることはできるが、何度も見るとだんだん飽きて、興奮は持続しない。さらにもっと強い刺激、新しい刺激が求められていくので、どんどん追い詰められていくことがある。一方、打った瞬間の最初の一歩の反応が素早く、落下地点に早く入って球をなんなくキャッチする凄さは、何度見ても感動できるものであり、その感動は薄れにくい。というような感じでしょうか。(もちろん、興奮が時として感動に変わることもあるのだけど)

感動させることとは、普通のことをどれだけ長く、深くやり続けられるかなんだよ

という、すっごく良いお話をあるアーティストから聞きました。

一時的にすごく話題になる機能というのがあって、その機能が付いないだけで、もうその商品そのものの価値全部が否定されてしまうようなことがあります。作り手も売り手も買い手も、その機能が搭載されていることが、その商品の先進性を測るバロメーターのように見てしまうのですね、ヒステリックなまでに。興奮競争をしているプレイヤーはその土俵から降りるわけにはいかないのですが、感動を目標にしていると、”わかった上でやらないい判断”ができると思います。これ、とても難しいことです。だって、総スカン食ってしまう危険と裏腹ですからね。でも、やらない勇気の責任は企画にあるのです。ということが前のエントリ「整理術」につながってもいるのです。

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2007年11月28日 (水)

こてんぱん

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企画会議などで、目論見が外れてコテンパンにやられてしまう、ということがあります。開始1分で、ぎゃふん!参りました!出直してきます!ってなるとき。もう、ここまでやられたら逆にすっきりしちゃうくらいなものです。僕も、資料をパラパラとみたとたんに、「これじゃだめ、やり直し!」と突き返されたことがあるし、同じように突き返した経験もあります。

こういうときって、たいてい聞く人の立場にたっていないのですね。

今、何に関心があって、どんな話が聞きたいのか?ちょっと考えるとわかることなのに、自分の提案を聞いて欲しい、了解して欲しい、という気持ちばかりが先に立ってしまう。

”こてんぱんにやられる”経験はたくさんすると、肝が据わるし、いわゆる”KY”にならないです。(笑)

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2007年11月24日 (土)

整理術

~嵯峨野 落柿舎~銀閣から嵯峨野まで行ったんかい?!と突っ込まないで下さい(笑)

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佐藤可士和著 「超整理術」 を読む。今、最も元気で注目を集めているアートディレクターであり、国立新美術館や明治学院大学、ユニクロ、SMAPなどを手がけてきた人。面識はないのだけど、知人の同級生だということで近々お会いできそうで、楽しみにしています。

この本では、とても真っ当な思考法が紹介されています。閃きやセンスという雲をつかむような話ではなく、”まずは机の上から整理しなさい”というアプローチが新鮮。情報を整理したところに本質が見えてくるということを、①物理的な空間、②情報空間、③思考回路、という3つのステップで解説しています。自分をクリエイターではなく、医者のような存在と位置づけているのも面白い。主体はあくまでもクライアントであるというスタンスを崩さず、アイデアは相手(=患者)の中にあるから、枯渇することはない、と言います。

写真は”余計なものを削って、本当に撮りたいものにフォーカスしなさい”と言われます。迷いがあると、1枚の写真にいろんな視点を盛り込んでしまうのですね。僕もそうですが、捨てる勇気がない。だから何を撮りたかったのか?が伝わらないで、ぼやけてしまう。

同じく、優秀な企画は、シンプルミニマルなものを突き詰めていきます。捨てられる勇気、潔さで勝負できるか?が重要です。迷いがあると、”とりあえず搭載しておこう”になってしまいます。それで、どんどん使わない機能が増えていって、テンコ盛りの機能を説明する分厚い取扱説明書が出来上がる、という結末。わかっていても捨てる勇気がないのですね。”あっても邪魔にならないから”というのも良く聞く理由ですが、そんなことはないのです。

本当に必要なものだけにフォーカスできると、コンセプトが立ってくる。

それをもう一度再確認できる本でした。

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2007年11月19日 (月)

世代論(3) ジェネレーションZ

                                 -あだし野念仏寺の竹林

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ジェネレーションZは現在の15-21才(高校、大学生)を指す概念。

縁あって先週、セミナーを聞きに行きました。仕事でも自分の子供がちょーどこの世代であることもあって、興味深い内容でした。

「下流社会」の著者 三浦展氏が”J-POPが好き、和モノ好き、郷土愛が強く、スピリチュアルな非合理性を信じる”、そんな世代像を面白く楽しく解説。そーかー、この子たちは星占いよりも、来世や輪廻を信じているんだぁ・・ふーん。”沸点が低い”というところなど、僕の以前のエントリでも書いたことにもつながって理解できる。

半面、”よさこいソーラン経験は5割以上”を”日本好き”と結び付けていたり(←実際は、学校の行事でやっているから)、”キャバクラで働きたいが2割以上”を”ゆるい職業意識”と結論付けていたり(←経験してみたいのと、職業意識って別もの)、と”掴み”を意識しすぎた恣意的なものが目立って、突っ込みどころはたくさんありました。でも、そういうちょっとセンセーショナルな切り口に持っていかないと話題にもならない、という実ビジネスん面での事情もわかりますけどね。(最近のベストセラーになる新書のタイトルのように)

でも、そういうことも含めて、あまり堅苦しく考えなければ、十分楽しめる内容でした。

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2007年11月17日 (土)

ペンの太さで企画も変わる

                                 鹿苑寺銀閣

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弘法筆を選ばずと言いますが、

”ペンの太さで企画は変わる”と思うことがあります。

マジックで画用紙に構想を殴り書くときは思考も大胆になったり、0.3mm極細水性ペンで小さな手帳に企画のドラフトを書いているときは、緻密にディティールにこだわったり、そんな経験はありませんか?

それで、僕はたまに気分を変えるために、BICの極太ボールペンでケント紙にスケッチしてみたり、原稿用紙や藁半紙を使ったりすることがあります。筆ペンや平筆水性ペンなどを使うのも新鮮です。

同様に、PCアプリでもいつもいつもパワーポイントばかりで企画書を書かないことです。試しに、エクセルとかメモ帳で企画書をまとめてみることをお薦めします。

特に、メモ帳などのシンプルなテキストエディタだけでロジックを組み立てるのはお奨めです!絵や表が使えないから、ごまかしが効かない。余計な装飾がされないので、本質的なところだけで勝負しなければなりません。

慣れ親しんだ道具を手放すと不安になるし、新しい道具はしっくりこないでストレスを感じることも多いのですが、そのために、従来の思考の流れの思わぬところでひっかかりを感じたりできることがあるので、面白いのです。

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2007年11月14日 (水)

去った後に感謝される仕事

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今現在、「よくやっている」と認められることばかり気にしないで、去った後に「あいつがいてくれてよかった、いい仕事をしてくれた」と、みんなに感謝されるような仕事をしなさい-

日々の仕事をこなすことばかりに気を取られていると、ほんとに大切なことを見失ってしまう。本質的な問題に取り組まず、表面の絡んだ糸だけほぐして「あー、今日も忙しかったぁ!でもこんなに仕事をこなしたぜぃ!」と思っていないだろうか。それを引き継いだ次の人は、とても苦労しているかもしれないし、ましてや将来その仕事に関わる人がどう感じるか?なんてあまり考えないでいる。

”僕が今やっていることは、僕がいなくなった時に、誰かに感謝される仕事なのだろうか”

そんな風に考えてみることは、とても大切なことだと思います。

忙しいと右から来たものを左に受け流すぅーっ になりがち・・・戒めねば

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2007年11月11日 (日)

正しい問いができること

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私たちは「正しい答え」を求めがちですが、

「正しい答え」は状況の違いにより「誤った答え」になります。

大切なのは、「正しく問う」ことです。(P・ドラッカー)

的確に問える人は、結果が良くても悪くても、長い目でみれば大切な足跡が残せそう。

レポートとか論文では、何をテーマにするか?で良し悪しが決まります。

子供の頃、作文とか自由研究で、何をやるか?がサッと決められた時は、1本筋の通ったものになるのだけど、テーマ設定に悩んで時間がかかった時は、中身も論理が一貫せずに、テーマ設定の悩みがそのまま内容に現われてしまったことが多かった。

プロセス重視なんていいますが、一番大切なのは、プロセスを回す前の最初のトリガーが何か?なのかもしれません。ひらめきとか勘、センスなんていうものではなく、その人の経験と生き方が、何かのサインに反応するのではないでしょうか。

道を歩いていて、カメラを向けようと思うかどうかは、人によって違うでしょう。思った後のアプローチの方法や被写体の切り取り方で、プロとアマチュアの差が出ることは当然ですが(みんな、そこの違いで”やっぱりプロは違う”と感心するのだけど)、実は何気なく歩いていて、何に”おやっ!?”と思うかで、プロとアマの差(またはプロ同士の差)が出るのかもしれません。

企画という仕事に置き換えてみると、

仮説作り→検証→コンセプトメーキングという基本的な流れがありますが、実は仮説作りの前段階のところで、その人の力量(いわゆる”地力”)が試されます。「誰でも一回は面白い小説が書ける、なぜならその人の人生が最高の物語だから」なんて言いますけど、企画も一回だけなら、良い提案ができます。自分の趣味とか、得意なフィールドに持ち込んで考えることで、アイデアは出てくるから。

でも、日常的に、どんなモノやコトに”おやっ!?”って思えるかが一番大切。それがないと、”上手な企画”は出来ても、”光る企画”はできないでしょう。

そういう感覚って、普段の会話の中でわかるものなんです。

「こいつ、そんなことに興味を持ったんだぁ」「変なことに関心持っているなぁ」って思える奴が少ないんですよねー、最近。そういうのって、結局、企画マンとしてどうか?という前に、人間として面白いか?なんでしょうね。

20代と50代は面白いけど、30-40代前半に上手な企画者が多いことに、なんとかしなければと思うこの頃。(たまたま私の周りだけなのか・・・)

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2007年11月 5日 (月)

世代論(2)

いまどきの若いもんは、こんな風に写真を鑑賞します(笑)

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博報堂生活総合研究所が調査した「子供の生活10年変化」が発表されました。

小4~中2の意識は、10年前とどう変わったか?を調べたものです。

いくつかを紹介すると、

・もっと増やしたい時間のトップは睡眠時間(64.9%)←前回は2位

・友達のことを父母によく話す 前回62.3%→66.6%

・本をよく読む 前回22.3%→37.6%と大幅UP

・興味のあることは自分で調べる 38.8%→51.1%と大幅UP

なかなか示唆に富む結果ですね。

別の調査では、親子の接近という結果が明確に出ています。

洗濯は父親と別にする近頃の娘、なんていうことがワイドショーなどで話題になりますけど、「父親と買い物や映画に行く、という娘が増加している」という事実を知っていましたか?「私、お父さん好きです」っていう女子高生って、割と多いんですよ。でも、そういう娘を持っていない人たちは、渋谷のセンター街でインタビューを受ける女子高生の受け答えで、”いまどきの若い子”イメージを刷り込まれてしまっていたりするのです。

親と仲が良く、本を良く読み、勉強が忙しいのでちょっと疲れ気味、でも友達はやっぱり大切で、映画やTVでリラックスとストレス発散して調整している”若い子”。そういう情報をインプットされた上で、スタバで友達と教科書を広げている高校生を眺めてみると、ちょっとこれまでと違った見方ができるようになるかもしれませんよ。

僕は、今の10代は”冷めてない”という印象を持っています。学校のイベントなど、昔は気恥ずかしくて、ダサくて、かっこ悪い、真剣に取り組んでいるのを友達に見られたら恥ずかしい、という感じで引いたスタイルが多かった(僕が中高生のときも)と思いますが、最近の子は、”乗ってしまった方が楽しい””どうせやるなら盛り上がろうよ”という姿勢を、結構ダイレクトに表現してきます。自分のテンションをうまくコントロールできる、という感じ。みなさんは、どうでしょうね?

”凶悪犯罪が増えている”とか”環境保護のため”とか”携帯電話は優先席では電源を切る”とか、総論として時代の流れになっているようなことの中に紛れ込んでいる「嘘」って結構あると思います。ムードに流されて鵜呑みにすると誤ることがある、ってことです。当たり前のことだけど、いろんな情報持って比較することで、本当のものが見えてくるのですね。ちょっと脱線してしまった・・・

世代論は、今度面白そうなセミナーに参加する予定なので、またその感想などを書いてみたいと思っています。

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2007年11月 4日 (日)

五感ブランディング

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メッセージを伝達する手段として、

イメージ(視覚)、音(聴覚)、感触(触覚)、味(味覚)、匂い(嗅覚)という5つのチャネル(五感)がありますが、企業からのメッセージは、広告をみればわかるように、視覚と聴覚に偏っています。映像と音声を使ってあの手この手でメッセージを伝えようとするわけです。

しかし、5つのうち2つしか使わないのはもったいないし、もう限界があるだろうというわけで、5感をいかに組み合わせるかの研究がされています。中でも、ニオイの活用はまだまだ遅れているといいます。

ステラおばさんのクッキーは、あきらかに待ち行く人を狙ってバニラエッセンスの香を強烈に流しています。新車の匂いは、ちゃんとニオイを研究して出荷時に仕込んでいるいるんですよね。これからは、もっといろんな企業が、いろんな製品で匂いをブランディングに使ってくることが予想されています。東芝のノートPCは開いたときにかすかなジャスミンの匂いがして、それがユーザーに刷り込まれていく、とかね。

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2007年10月28日 (日)

自分を決める

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「作家になりたいので作品を読んでもらえないか?」

と頼まれたとき、オーストリアの詩人リルケはこう答えたそうです。

「私が読む必要はない。

君が朝起きたときに小説を書くこと意外頭になければ、

君はもう作家になっている」

肩書きというのはたくさんありますが、

自分で宣言するものと他人から認定されたものがあります。

自分で宣言するということは、自分を追い込むでもあるでしょう。

ということを、普段会社員はあまり考えたりしないんですよね。

そういえば詩集って最近あまり読んでいません。毎日、素敵な詩が送られてくるような携帯メールサービスとかあれば、電車の中とかトイレの中で、もっと詩が身近なものになるかもしれないな、と思いますがどーでしょうね。

学生のときは、草野心平、中原中也にカブレ、井上靖の詩集とか大好きだった。久しぶりに詩集を買ってみようかな?

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2007年10月17日 (水)

楽な道で努力する

有楽町イトシアを覗く。人気のドーナツは平日の午前中にもかかわらず、なんと1時間40分待ち。それでも買いたいか?!僕はあきらめて、どら焼きを購入。おいしかったけどうさぎやを知っているので驚きはなかった。その後、向かいにあるマロニエゲイトをチェック。銀座ハンズをなめて、駄目元でレストランフロアへ。が、昼時なのに混んでな~い!イトシアに取られている模様。こっちだってOPEN間もないのにちょっと極端すぎないか?ここの狙いは名古屋のひつまぶしの老舗なんだけど、今日はパスして隣のソバメシを食す。結構うまいのに、ここも店内がらがらなのさ。有楽町駅前の導線は変わったけど現時点では集客相乗効果はでていない

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「好きだけど点数とれない科目より、あまり努力はしなくてもいつもよい点が軽く取れてしまう科目の方が、貴女が将来 ”際立てる” 分野であるでしょう」

子供が進路などを迷っていたとき、高校の先生がしてくれたアドバイス。

他人は結構てこずっていることなのに、自分はそれ程苦労もせずに出来る。そういう分野こそがトップを目指せるといいます。なぜなら、本当の一流になるためには、そこからさらに死に物狂いで取り組まなければならないので、ちょっと他人より優れているくらいのレベルまでは、軽くクリアしていなければ、とてもその後の頑張りなんて続かない、ということ。

それが出来て初めて誰も手が届かないほどのダントツの領域に達することができ、そここそが唯一無比の頂点になるのだということ。逆に、大好きなんだけどいつも四苦八苦してしまうものっていうのは、趣味にしておくのが相応しい。

これって、勉強でも仕事でも共通していると思います。ドラッカーも「他社はうまくできなかったが、わが社がさしたる苦労もなしによくできたものは何か」を問えと言っています。(「創造する経営者」より)

「この仕事なら朝飯前だね」「しめたっ!」って言えることを見つけられると、気持ちに余裕ができるので、さらに良い質のアウトプットが出せると思います。それが見つけられれば苦労しないよって?その通り!(笑)そんな簡単なものではないですよね。いろんな経験を経ることで、そんな勝ちパターンの引き出しが増えていくものなのだと思います。

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2007年10月14日 (日)

役を生きる

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テレビでアランドロンを見た。

ちょっとぶよってたけど、よい年の取り方しているなぁって印象でした。

その番組の中で彼が言っていたことが興味深かった。

「私は演じないし、演じたことがない。

俳優には”コメディアン”と”アクター”の2タイプがいる。

コメディアンは演劇学校で演技を学んで育ってきた者たちを指す。

一方、強い個性を持った人がたまたま俳優となった場合をアクターという。

本質的な違いは、コメディアンは”演技”をし、アクターは”役を生きる”」

というもの。

(コメディアンという言葉は喜劇役者とかお笑い芸人ではなく、もっと広い意味で使っているのだろうな、と思って調べてみたけど、やはり喜劇に絡んだ訳しかありませんでした。彼が役者を喜劇役者とそれ以外に分けて捉えているわけではないはずですが、なんでコメディアンという言葉を使ったのかは不明です)

役者やクリエイターの世界だけでなく、企画でも、学んで育った企画者と生まれつきの企画センスを持った者がいます。企業の中では圧倒的に前者の方が多いのですが(たまたま配属されて勉強する人もいますのでね)、たまに生まれついての企画マンに出会うこともあります。

同じ番組で、司会者がこんな質問もしてました。

「いままでいろんな苦労してしてきたと思うが、どう乗り越えてきたのか?」

その答えは

「幸運に好きな仕事ができるのはごく限られた人たちだ。私はそれをすることができた。その恵まれた状況に感謝していれば、苦労などどれほどのものか?やめたいと思ったことなどない」

とのこと。かっこ良すぎるけど身に沁みました。

毎日忙しくどたばたやっていると、つい愚痴も弱音も吐きたくなりますが、企業の中ではみんなが希望の仕事をしているわけではありません。そんな中で、僕は自分の大好きな仕事を任せられています

そう思えば、今の自分の仕事をもっと大切に楽しんで向き合っていけます。

そうでなければ、たくさんの他の希望者に席を譲らなければ申し訳ありません。

(但し、企業の中にあっても、実は自分の仕事は自分で選ぶことができるのです。今の僕はたまたま会社の人事のプログラムで現在の仕事をしているのではありません。自分でやりたい道を見つけ、その道に乗れる努力をいつもしてきました。ですから、「こんなことやりたくないなぁ」っていつも愚痴ばかり言って自分から何か始めようとしない人には否定的です。生活のリスクも覚悟して、一生懸命体を張って取り組んでいる人たちをたくさん知っているので、なおさらです)

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2007年10月 1日 (月)

異質を掛ける

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発明・発想とは、無から有を生むのではなく、あるものを組み合わせた結果であると言われます。そのあるものは、距離に比例して新しい価値が大きくなる傾向があります。逆にあまり近いもの同士を掛け合わせてばかりいると、アイデアは劣化していくと言います。近親相姦が種を劣化させていくのと同じことだということです。だからと言って、場当たり的に突飛な組み合わせを強引にしてしまえばいいわけではありませんけどね。

異質の引き出しをどれだけ持っているか?は、企画の素養です。異質な分野でスペシャリストであること。アウトドアブームだからと年に数回家族でキャンプに出かけて、パソコンの企画にタフなスペックを提案する、なんて単純なものではだめです。異質であってもその道を極めていなければ、掛け合わせることなんてできません。

多趣味なのに、それぞれの道に驚くほど深く精通している人、たまにいますよね。いわゆる”凝り性”という性癖は、自慢できるものなのです。”遊び心”が重要なんて、一時盛んに言われましたが、ブームだからとちょっとかじってみるだけでは、あまり意味がないです。ちょっとした興味にも、ある一定期間(短期間でもいい)徹底的に凝ることが重要です。

僕は今、ある人の影響で、”苔”に凝っています。ルーペを持ち歩いて、道端の苔を観察中です。美しいミクロワールドは結構はまります。苔好きは、霧吹きを持参して、苔が開くのを観察するので、今携帯型霧吹きを試作中なんです。

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2007年9月28日 (金)

温めるか外気にあてるか

        T_rimg0067

なにか新しいアイデアが出た時に、あまり余計なことを考えずに勢いでガンガン突っ走ってみる方法と、いったん冷却期間とか深く考えを練りこむ時間を持って熟成させる方法があります。人それぞれのスタイルにもよるし、得手不得手があると思いますが、経験的にいうと、そのアイデアをどのくらい継続させたいか?がどちらの進め方が相応しいか?のポイントであるように思います。

1ヶ月の短期勝負の企画であれば、1時間で書き上げる企画でいい。まだ湯気があがっているうちに食ってしまうほうがいい。でも5年もたせる企画であれば1時間で考えた企画を1週間寝かせて見直し、1ヶ月練り込み、3ヶ月寝かせてもいい。いろいろなケースがあるので一概には言えませんが、だいたいそんなものだと思います。

一気に作り上げると、気持ちの高まりの余熱を感じるような、勢いのある魅力的な企画ができることもありますが、少し時間を置くととても陳腐になってしまうものもあります。時間のフィルターを通して、周りの飾りが風化して本質だけが見えてくるからでしょう。そういう過程を生き延びられない企画は、世の中に問うても陳腐化するのが早いことが多いですね。

また、一旦寝かせて熟成させる場合でもその方法がいろいろあります。自分の中で”内考”を深めていく場合もあれば、いろんな人に話しながら意見を聞いてブラッシュアップさせていく場合があります。前者を思索的=内考型、後者は行動的=外考型としておきます。

内考で注意しなくてはならないのは、脳内で盛り上がってどんどん完成度を高めていくので、いざ周囲の人に意見を聞いたときに、自分の企画の守りに入ってしまうことです。根本的なことを指摘されても、企画全体を見直さないで部分修正で対応しようとすること。練りに練ってきた自信があり費やした時間も多いので、リセットボタンが押せなくなってしまうのですね。

逆に、外考で注意することは、周囲に話すことで頭の中の内圧が下がってしまうこと。自分の企画を語ることで、ある種の達成感、満足感を得てしまい、そこから次に進まなくなってしまうことです。

このように一長一短あるので、やはりバランスとタイミングが重要なのです。でも、僕自信もそうですが、このような取り組みか方をケースによって使い分けるというのは至難の業です。その人のパターンというがどんなときでも出てしまうのです。

僕の場合は、自分の考えやアイデアをさらっとサラウンディングできる信頼できる知人がいるので、内考+1~2名という場合が多いですね。特定の人には生煮えの状態でも話しますが、それ以上には話しません。それがどうも自分のリズムに合っているようです。

いずれにしても、最初に書いたように、どのくらいの継続性を求められている企画であるかによって、内向でも外向でもの期間を意識してみるといいと思います。

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2007年9月24日 (月)

触媒

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クリエイトするということは個性の表現であると思っている人が多いでしょう。しかし、T・S・エリオットは、「詩人はつねに自己をより価値あるものに服従させなくてはならず、芸術の発達とは脱個性化の過程である」と言いました。インパーソナル・セオリー(没個性説)です。そこで引用された有名なアナロジーが”触媒”です。詩を作るのは「酸素と二酸化硫黄があるところに、プラチナのフィラメントを入れたときに起こる化学反応に似ている」というものです。触媒であるプラチナが化合の前後で増減も変化もないというのが、詩人の個性が果たす役割に通じるものがある、と言います。化合したものには、プラチナの痕跡はないのですが、プラチナがなければできなかったものになっている、ということですね。クリエイターは、出来たものに痕跡を残したがるもので、その痕跡が自分のアイデンティティであると考える人も多くいるように思います。

詩人は自分の感情を詩にするのだ、個性を表現するのだ、という考えに対して、個性を脱却するのだ、という上の考えは昔聞いたのですが、その時はまだ理解できずにいました。企画は触媒だなんて、なんだか引き合わせに生きがいを感じる仲人好きのおばさんみたいで、納得できなかったのですね。感性や創造力で勝負するのだ!って意気込んでいた頃ですから、引き合わせの妙みたいなこと言われても受け入れられなかったのですね。

でも、エリオットは、詩人の個性もこのプラチナのようなもので、その個性が立ち会わなければ決して化合しないようなものを化合させるところで”個性的でありうる”とするのですね。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。無から有を生じるような思考などめったにおこるものではない。すぐれた触媒なら、ごく自然に既存のもの同志が化合すると。

自分の個性をいかに出すか?これは芸術家だけでなく、商品企画も工業デザイナーも、経営者でも考えることです。アイデンティティ、オリジナリティにこだわることは大切なことです。が、ものを考えるにあたってあまり緊張しすぎるのはいけないようです。自分を出そう出そうと意識しすぎると、お仕着せがましいうっとおしいものになってしまう危険があります。前に書いたデザイン家電の嫌らしさなども、これに通じるものなのだと思います。

もう少しゆったりと、自分の手にかかれば、意識しなくても自然に自分の味が出るものだ、というくらいの感じで取り組むことも必要かもしれません。仕事がら、様々なジャンルのクリエイターの方々とお会いしますが、自分のスタイルが出来ている方ほど、仕事を選ばない人が多いようです。どんな仕事でも、どんな要求でも、相手のことを考えて仕事をすれば、自分の価値は自然に出るものだ、という自信があるのではないでしょうか?

枯れた考えだと反発する人もいるでしょうね。自分の創造力で無から有を生まなければ意味がない、と思う人もいると思います。それもOK、大いに勝負して欲しい。でも、一方でこんなスタンスもあるのだ、ということを頭の片隅に置いておいて欲しいです。きっと、どこかで役に立つはずです。

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2007年9月17日 (月)

マイナーチェンジが腕の見せ処

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陸羽東線は宮城県古川と山形県新庄を結ぶ単線です。鳴子を過ぎてまもなく分水嶺となる中山峠を超えます。それまでは太平洋にむかって流れている川が、日本海に向かって流れるようになります。写真は、瀬見温泉近くの線路です。

マイナーチェンジというとベースになるモデルがあるので、いろいろやろうとしても限界があります。ましてや、別の人間が企画した商品のマイナーチェンジモデルの企画担当するのなんて、なかなかモチベーションが上げにくいものです。

でも、マイナーチェンジこそその人の腕の見せ処なんです。主要スペックは変えられず、見た目も小変更程度しかできない。そんな難しい制約条件の中で、いかに完成度を高めることができるか?ディティールの作りこみだけで、新製品としての魅力をしっかりと出すことができるか?ほら、まさにプロにしかできない、面白い仕事なんです。

フルモデルチェンジの方が、そういう面では楽なのです。最新のスペックを集めて、新しいフォルムに新鮮なデザインを施せば、言葉で補わなくても商品だけでとりあえずは注目され、関心を集めることができるからです。もちろん、選択肢が多い分、違う難しさはあるわけですけどね)

だから、是非マイナーチェンジの担当になったら、「よっしゃ!腕の見せ処だぜい」って思って欲しいのです。今度の担当はマイナーチェンジだから楽チンっす、っていう姿勢にはならないで下さい。

事件に大きいも小さいもない!って踊る大捜査線の青島刑事もHEROの久利生検事も言ってます。企画にフルモデルチェンジもマイナーチェンジもない!って感じ???

同じような理由から、成熟産業の企画こそ面白いと思います。液晶テレビやブルーレイディスクプレイヤーの企画より、冷蔵庫や扇風機の企画の方が、なんだか楽しそうな気がしませんか?

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2007年8月31日 (金)

ぶっちぎれば価値はついてくる

          T_shoes

世界最小最軽量のバカ、というのが広告業界では有名です。

携帯電話などで、本体89g!世界最小最軽量!などといいます。他社より2g軽いとかを声高に訴えるのですけど、それがユーザーにとってどれだけの価値があるのか?ということです。そういう商品を購入したユーザーが、本体よりはるかに重いアクセサリーとかをじゃらじゃら付けていたりするわけです。1g2g軽くするために死にもの狂いになって取り組んできた開発者は、そういうシーンをみて、何を感じるのでしょうか?というお話です。

でもですね、ぶっちぎった小型化は、単なる不満解消ではなく、思いもよらない用途が、ユーザー側から創られていくものです。20cmの厚みの液晶テレビが16cmになっても、それほど変わらないけど、最近シャープやソニーが相次いで発表した2cmのテレビになると、これはもう色々な使われ方がされていくことが目に見えてくるのです。デジタルカメラの画素数だって、1000万画素が1200画素になっても使い方が激変するわけではないけど、3000、5000万画素になったら、これはもう面白いことがたくさんできるようになります。だから、プロダクトアウトってアリなんです。徹底的にやること、それで想像を超えてぶっちぎること、それには後から価値がついてくる、ということです。

それまでは、世界最小最軽量のバカにならないようにしなくてはね。

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2007年8月25日 (土)

顧客のインテリジェンスを尊重する勇気

          T_coffee

          

企画の世界では、「誰に買ってもらいたいか=ターゲット」「どういうときに使ってもらいたいか=利用シーン」を決めるのが基本です。(ターゲットは“み~んな”と言い切る企画もありますが、ここでは触れません)同時に、「こういう人には使って欲しくない」「こんな使い方はして欲しくない」を明確にするという切り口があります。それこそが企画である、と言う人もいます。ただ、商品はそうやってターゲットを絞って作っても、実際には想定しないお客さんが購入、使用することは必ずあります。中には想定外の人にたくさん売れてしまって予想外の大ヒットになることもありますよね。もちろん、売る客を選ぶような商売もあることはありますが、それのほうがレアケースでして、通常は買ってくれるのなら、ターゲットでなくたって売ります。

さて、プロ用の機材を初心者が購入して、この記号がわかりにくい!と文句を言っても、プロの世界では当たり前の記号なんですよ、と言われれば文句は言えないし、大抵は納得します。商品に文句を言うより、そういうものを分不相応に選んでしまったな、ちょっと背伸びしすぎたなぁ、と悔やんだりするものです。でも、こういう明確なケースよりも、もっとあいまいなケースの方がはるかに多いです。だから、いろいろなトラブルやクレームが起きるのです。

だからといって、クレームを恐れて、あらゆるユーザー層を想定してしまうと、わけのわからないものになってしまいます。作り手としては、どこまでユーザー層の広がりを想定しておくか?がポイントになります。でも、最近はクレームを恐れて、安全にという方向に向かっています。

でも、初心者に合わせてわかりやすい表示をすることで、本当に買って欲しいユーザー層にそっぽを向かれてしまうこともあります。テレビのリモコンに、大きく漢字で「電源」って印刷されていたら、ちょっと自分向きの商品ではないのかな?って引いてしまう人もいるでしょう。逆に、わかりにくい言葉なんだけど、それを知っていることで、なんだかその世界の仲間入りしたようなうれしさを感じさせてしまうこともあります。業界用語や符牒を使いたがるアマチュアの心理に通じるものです。スターバックスではコーヒーのサイズをグランデとかベンティとか表示していますが、日本人にはわかりにくいことは彼らも十分承知しています。でも、決してLとかLLにはしないですね。スターバックスというテーマパークに入場してくれたら、どっぷりその雰囲気に浸かってくつろいで欲しい、だから言葉もスターバックスの言葉で通します、ということです。

操作性(=I/F)だけをとっても、

・誰でも初めてでも感覚的にわかるI/F

・とっかかりは悪いけど、慣れるにしたがってもう手放せなくなるI/F

    難解で文句を言いながらもそれを使いこなすやりとりを楽しめるI/F

などがあります。それを、取説を見なくても初心者が一通り使えるか?で、操作性の良し悪しを判断しようとする勘違いが結構あるのです。外部に評価を依頼したりするケースでもよく見かけるので、要注意です。

結局、商品やサービスを提供する側は、顧客のインテリジェンスをどこまで尊重できるか?というのがポイントになると思います。インテリジェンスって、単に読解力とかの知識ということだけではなく、知的好奇心とか創造性も含めてのものです。バカヨケ=fool proofという言葉がありますが、なんでも分かりやすくすればいい、ということではないということですね。

今の世の中、簡単ではないのも事実ですので、強い信念も持たないとなかなか徹底できないのですけどね。

しかし、上記のようなことをわかった上でも、身の回りの商品を見回してみると、あまりに分かりにくくて不親切で、本当に腹が立つことって、まだまだ多いですよね。単にユーザーの立場に立たないで、作り手の思い込みや都合でわかりにくくしてしまっていることを、上記のようなロジックにすり替えてしまうことをしてはいけません。それでは、単に作り手の傲慢になってしまいますからね。

基本がちゃんと出来た上で、初めてこのようなことが言えるので、そこを勘違いしないようにしてください。

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2007年8月19日 (日)

企画者に求める性格

           夏休みは今日でおしまいです~

                    Asagao

どんな人が企画に向いているのか?

熱い情熱を持った人、粘り強い人、頭の柔らかい人、発想の豊かな人、遊び心のある人、行動力にある人、などなど、書き出したら切りがありません。僕も以前は、”企画をしてみたい!”と強く思う気持ちだとか、商品やサービスに対する愛情だとか、いろいろ言ってきました。

そして、それらはどれも正しいし、どれも正しくない・・・

逆もまた真。クールで冷静な企画者もいるし、飽きっぽいけど優秀な企画者も知っているし、頑固だけど的を得た企画ができる人もいます。すぐにどこかに行ってしまう風来坊も、一日パソコンに向かったり雑誌を眺めている静かな人もいます。

で、最近僕が思っている、企画に向いている性格っていうのは・・・

素直な人

なんか、あれっ?って拍子抜けするかもしれませんね。

優秀な企画者って、結構アクが強く、理屈っぽく、ちょっと変わり者くらいがちょうど良い、というイメージがありますのでね。

でも、です。最近思うのです。情熱や粘り強さなどは、仕事の中で養っていくことができます。ましてや柔軟な発想などはテクニックとしていくらでも学ぶことができます。ところが、素直さは⇔ずるさって、どうも変えられないなぁ、と。

だから、どんな人を企画の仲間に欲しいか?と聞かれたら、今は「素直な人」って答えると思います。素直な人って、一緒に仕事をしていて気持ちいいし、ある面ではとても新鮮な刺激を与えてくれることが多いのです。

素直なだけじゃ食い足りないだろうって?ちょっとひねくれたモノの見方ができるほうが人が気がつかない視点を見つけられる場合が多いんじゃないかって?

はい、確かにその通り、僕も素直さだけで企画ができると言うつもりはありません。ただ、あえて極論しますが、それ以外のことは、仕事の中で教えていけるし、身につけられると思っています。だから、僕の仲間を募るとしたら、素直でありさえすれば、熱く燃える情熱家でも、クールな分析家でも、アイデアマンでも、理詰めで答えを出す人でも、どんなタイプでも歓迎します。

あまり確信もありません。考え直すかもしれません。でも、今はそんな風に考えているのです。みなさんはどうですか?

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2007年8月12日 (日)

天に唾を吐け!

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自分の行動や発言が、結局自分の立場を難しいものにする、それを承知で天に唾を吐ける人はなかなかのものだと思います。「ヘタなこと言うと、結局自分の仕事が増えちゃうから、ここはちょっと静かにしてたほーが得だな」という護身はよくありますね。でも、それを承知で「ここが問題じゃないでしょーかっ!」って言えて、「そりゃお前がちゃんとやってないからだろー」って突っ込まれて、「あちゃー、そうでした」って答えられる人は素晴らしいです。たまたま墓穴を掘っちゃったってケースもあるでしょうけど、それだっていいのだと思います。

と書いてみて、この言葉の元の意味は違うのかも・・・と思いました。神を冒涜するようなことをすると、災いがあるんだよ、って意味だったのかもしれません。(笑)

今日から一週間、夏休みです。

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2007年7月21日 (土)

「他店より1円でも・・・」の虚しさ

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「他店より1円でも高いものがあったら申し出てください、必ず対応いたしますっ!」ということを誇らしげに訴える量販店があります。ある携帯電話キャリアは、「競合他社が新しい値下げをしたら、その日のうちに同様の価格を打ち出す」と宣言しています。

どちらも、"価格で他社には負けません""いつでも低価格をお約束いたします"というわけですが僕は、どうもこの考え方に虚しさを感じます。

“いつでもどこよりも安い価格で提供したい”という姿勢も取り組みも、立派なことだし、それを追求していくことは価値のあることだと思います。それが、なぜ他社との比較においてなのか?ということです。自分たちがこうする、ではなく、他社がやったら対抗する、なのか?です。他社がやったからやるのなら、はじめからやればいい。価格対応できる、ということは、それまでは必要以上の利益を得ていたんですか?ということです。

いや、そこは企業努力で、というかもしれませんが、企業努力は競合の価格が下がらなくてもできるのです。商売なのだから、適正な利益を得ることは当然のことです。その上で企業努力で1円でも安い価格で提供することは立派な理念ですので、努力し続けていけばいい。それを、なぜ他社の出方によって変える必要があるのか?ということです。反対に、他社より高くても、私たちはお客様にこういう価値を提供して、そのために必要な利益はいただいています。ですから、他社より高いものもあるかもしれませんが、それを評価していただきたいと思います、と言えばいいのです。同じ製品を売っている小売店だって、商品以外の価値(お店の雰囲気、店員の対応、品揃えなど)はたくさんあります。その差が価格差であってもいいはずです。それを堂々といえばいい。

「そんなこと言ったって、現実に同じ商品なら1円でも安い店で買いたいというのがマジョリティの素直な気持ちでしょう?」という声が聞こえそうですね。でも、それこそ都市伝説レベルの誤った認識だと思います。誰だって快適に買い物したいのです。豊かな時代になったから選択基準が価格だけではなくなった、などという消費行動の変化で説明するようなことではなく、これはどんなに貧しい時代でも変わらぬ購買心理なのです。だから、僕は「他店より1円でも高いものがあったら・・」という言葉が「他店が安くしなかったら、少し多めに儲けさせてもらっときます」に聞こえるのです。

目玉商品だけ50%引きで売って、他の商品で儲けをカバーしているお店より、どの商品でも適度な利益で販売しているお店やブランドが、これからは固定客が付くお店になっていきます。既にアパレル業界でも、“23区”などのブランドがそれを実践しています。極端なバーゲンセールはやらないけど、そこそこのお買い得なプライスでいつでも安心して買えるブランドです。

経営の理念は、世の中がどうでも、他社がどうでも、我々はこれを信じて追求していく、というものだと思います。松下幸之助さんの”水道哲学”は有名ですが、決して他社との相対的な買いやすさを追求した哲学ではありません。他社の出方を見ながら、出したり引っ込めたりするものではないのです。だから哲学なのでしょう。

相対的な目標、たとえばシェア○%!というものって、何か夢が感じられません。ましてや、理念・ビジョン、経営方針などは、絶対的な目標であること、が重要です。

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2007年7月18日 (水)

コアコンピタンスは突き詰めない方がいい

台風が過ぎた後の家の前で見つけたカラスアゲハ(だと思います)

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コア・コンピタンス(Core competency)とは、ある企業の活動分野において「競合他社を圧倒的に上まわるレベルの能力」「競合他社に真似できない核となる能力」の事を指します。例えば、BOLVOのコア・コンピタンスは安全性であるとか、SONYの小型化技術とか、FEDEXの荷物位置検索システムなどが紹介されています。コア・コンピタンスに経営資源を集中し、不得意分野について外部資源を活用(アウトソーシング)する経営戦略を「コア・コンピタンス戦略」というのですが、自社のコア・コンピタンスは何?っていうことをあまりまじめに突き詰めすぎると、誤った道を選択してしまうのです・

だって、自分のこと考えてみればわかりそうじゃないですか?

君の仕事の価値って何?って聞かれてさ、「うーん、ささやかだけどIT技術を人々の快適な生活に役立てるお手伝いをしていることかなぁ」なんて答えても、「それって、君にしかできないことなの?」「他に人には絶対真似できないことなの?」って突っ込まれて、「いや、そんなことはないかもしれないけど、自分なりの着想で取り組んでいるしね」「じゃあ、君のコア・コンピタンスはその着想なわけね?」「うーん、まあそうともいえるかなぁ・・」「じゃあ、君は着想だけに集中して、それを具現化するのは他人に任せた方がいいんじゃないの?」「あ、でも、いや、それを具現化していくステップにもやりがいを感じているわけで」「でも、そのステップに君でしかできない価値はあるわけ?」「いや、まあ、それほど推進役がうまいほうだとも思わないけど、やっぱ自分の考えたものは最後まで見届けたいし・・・」

この概念を提唱したハメルとプラハラードも、「コア・ビジネスに固執していると、自社のビジネスチャンスの範囲を狭め、新しい競争の場を作る可能性を自ら閉じてしまうことになる」として、非戦略的な“選択と集中”や利益至上主義に基づく“リストラクチャリング”に否定的です。

まじめに突き詰めすぎると、思想とか姿勢というものだけが残って、モノ作りしないメーカーとか顧客に接しないサービスとかが増えてしまいそう。

このあたりは要注意ですね。”選択と集中”を御旗に掲げた事業の整理、やりたがる人って結構多いのです。ビジネスゲームでキャリアアップを狙う人は特に、ね。

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2007年7月11日 (水)

いいこと、していますか?

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素敵な本と出会いました。
最近読んだ種々のマーケティングの本10冊分以上の魅力と価値を感じる本。糸井重里さんの著書です。ブログでつづったものの集成なのですが、言葉が活発です。糸井さんって、よい感じで年取っているなぁ、って思います。(面識はないのですけど)で、今日はその中からひとつをだけ引用して紹介します。

「自分たちはいいことをしている」と思っていると絶対にろくなことはありません。「いいことをしていない人」に強く働きかけようとしたり、いいことをしているのだから、と、図々しく声高になったりしやすくなります。

「小さいことばを歌う場所」糸井重里著(東京糸井重里事務所)より

環境保護団体や人権擁護団体など、その目的の正しさに対して、どこをどうひっくり返しても誰もまったく文句のつけようがないような、むしろ下手に文句なんか付けようものなら自分さえよければ知ったこっちゃない、という悪者のレッテルさえ貼られかれないない、そんな、誰がどうみても”正しい”活動であればあるほど、肝に銘じておくべき名言だと思います。いいことをしていると思っているときって、顔が約5°上を向いているような気がします。あー、だから昔、”人類みな兄弟”って叫ばれてもどこか胡散臭さを感じてしまったの、かも・・・

消防隊員は、同じような立場かもしれないけど、彼らにそういう押し付けがましい感じがでないのは、自分の命をさらして取り組んでいるからかもしれないなぁ、なんて思いました。
死ぬ気で頑張っているのと、本当に死と隣り合わせであることの違いが、そんなところに出るのでしょうか?

もちろん、”誇り”は大切です。でも、それは外に出す必要のないものなんですよね。

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2007年7月 5日 (木)

分かりきった失敗

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みんなが絶対失敗すると思っていて、その通りに失敗するプロジェクトというのがあります。毎日のように新製品が世の中に出てきますが、見た瞬間「これはどう考えても売れないだろうっ!」と確信できるものがよくあります。自分がとくに見識を持って鋭く予測したなどということではなく、誰がみても「あーあ、やっちゃったな」って思うものです。でも、どうして作り手側で、同じように常識的&冷静な判断ができなかったのでしょうか?

いえいえ、そういうケースでは、作り手側も大多数の人が発売前から、”こりゃだめだよ”って分かっているケースが多いのです。本当にみんなが一致団結成功を信じてしまっていた、なんてことはめったにありません。ではなんで、ブレーキがかからないのでしょうか?

考えられることをざっと列記してみると・・・
・強力な支持者を見方に付けているので、誰も表立って否定できない(カリスマ性のあるトップが事業化宣言したものであればなおさらです)
・みんなが否定するくらいのものから大ヒットが生まれるのだと、自己陶酔して他人の意見に耳を傾けない(大抵、そういうタイプの人は上記でいう、強力な支持者を巧妙に見方に付けるテクは持っている)
・大きな投資をしているので、今更中止するとは言いにくい(出して売れなくても”失敗は成功の元”といえるが、出さないと責任論になる可能性が高い←不条理だけど結構そういうケースが多いのです)
・壮大なテストマーケティングなのだ!とヌル~い自己正当性を吼えるサラリーマン起業家(結局、自分の懐が痛むわけでなし、会社の金でチャレンジできるんだものね、うまくいけば儲けものっていう乗りです)
・ブランドや販売力への過信(力技で売ってしまえる妄想)

などと事情は色々でしょうが、一番の原因は、ネガティブな御注進が好まれないことだと思います。最後の追い込みで、鼻から煙を吐いてひっちゃきになって開発の最終段階を迎えているテーマに対して「中断した方がいいと思います」というのは相当勇気がいるのです。勇気有る撤退という言葉がありますが、ちょっとやってみて駄目そうならさっさと引き返すという方が割りとやりやすいのですね。撤退の理由が見つけやすいですからね。でも始める前に引き返すのって、結果が出ていないだけにすごいパワーがいるのです。「まあ、確かに言ってることはわかるけど、せっかくここまでやったんだから、少しだけでもやってみて、駄目ならすぐ引き返せばいいのだから」って決断を先延ばしにして、結局傷口を広げてしまう、そんなケースが多いのですね。

確かに、そんな中から大きなヒット商品が生まれることもあるし、そういう方がサクセスストーリーとして面白いので、いろいろなところで紹介されてるわけだけれども、それだけ珍しいから紹介されているのだ、ということをちゃんと認識していないと判断を誤ります。渋谷のセンター街を歩いている女子高生のニュース映像を見て、都会の若者を語ってしまうようなものですね。

企画は、熱い思いと粘り強さが大切だといいますが、冷静な判断で勇気をもって中止を提言できることもとても重要なのです。そして、それのほうがはるかに難しい。昨日まで自分が中心になって進めてきたテーマを、ある段階で自ら否定する勇気を持てるか?それも企画の重要な資質の一つです。

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2007年6月22日 (金)

可視性の罠

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脱コモディティ化のためのイノベーションを分類して、今後の新しいパラダイムを提示している考え方を紹介します。ビジネスブレイクスルー(BBS)が提示している中の、ほんの一部のエッセンスです。詳細は「イノベーションを生み出す力」(ゴマブックス)をご覧下さい。

価値の可視性(=価値の測りやすさと言い換えてもよい)と、競争の属性(=競争する市場と置き換えてもよい)という2つの軸でイノベーションを分類しています。(下の図参照)

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◆性能イノベーション
現状と同じカテゴリーの中でより良い性能のものを提供することで、コモディティ化に対抗しようとするイノベーション。目標設定が比較的容易であるので資源を集中しやすい反面、可視性が高いので成功すれば他社も早期に追随することが多い。市場黎明期から成長期は、この競争が多い。又圧倒的な技術ポテンシャルと企業の体力があれば、独占の可能性もある。いわゆる、スペック競争であるが、DELLや100円マックのように、コモディティ化を加速させることで自社のビジネスチャンスに変えてしまおうとする戦略も、一つの性能イノベーションとして分類することもできるでしょう。
例:「おいしいお茶」「PSP」「DELL」

◆感性イノベーション
現状と同じカテゴリーの中ではあるが、価値のものさしが見えにくいものであり、成功しても容易に追随できないもの。単なるイメージの差異化というだけでなく、継続性のあるストーリーが鍵になる。スペックの比較表ではこちらの方が買っているのに、何故かシェアが切り崩せない、なんてことがよくあるのは、このケースが多い。
例:「伊右衛門」「ipod/MAC」

◆用途イノベーション
これまでにない価値で従来の市場とは異なるマーケットを開拓するもので、競争環境を一変させるインパクトを持つ。(場合によっては競争相手を変えることもある)しかし、その特徴の可視性は高い。お茶をリラックス、くつろぎ、団欒、味わう、というような価値から、健康サポートという新しいジャンルへ移行したヘルシア緑茶などは、その最たる例である。ただ、可視性が高いのでブランドを確率する前に、模倣追随されるケースも多い。この場合は、黒烏龍茶など・・・
例:「ヘルシア緑茶」「EXLIM」

◆カテゴリーイノベーション
新しいマーケットを作り、しかもそこで提供する価値が可視化しにくいもの。これがもっとも独自性を発揮できて、参入者利益を享受でき、そのうえ模倣されにくいので、強固なイノベーションとなる。ポイントは、性能イノベーションなどと比べて、製品は完全なものでなく、顧客と一緒に育てていくことが重要となる。
例:「スターバックス」「ウォークマン」「任天堂DS」

価値の再定義と可視性の低下がカテゴリーイノベーションであり、これが容易に他社に模倣されないイノベーションである、ということですね。ここでも以前取り上げたブルーオーシャン戦略は、ニッチでポジションを獲得しろという説であったのだけど、単に他社のやっていない市場にフォーカスしても、可視化できる価値だけで勝負すれば、結局模倣されてしまうので、コモディティ化の速度を一時的に緩めるだけにすぎない、ということです。例えばカシオの初期のEXLIMは高画素化競争の中で、カメラをいつも携帯して気軽にメモ感覚で使うという新しいカテゴリーを作って成功したけど、その最大の特徴である”薄型”は可視化が高く、ゆえに競合他社の格好の目標にされてしまって、その優位性は長続きしなかった。これはまさに上で言う用途イノベーションに当たるものです。

企業はものさしが見えるものをやりたがるものです。それに、後で効果測定しやすいもの、成果が目にみえやすいものを、目標値に置きたがるものです。ですから、可視化できにくいものを目標にするということは困難なパラドックスを背負い込むことになるのです。
普通に考えても様々な壁が立ちはだかります。
①金を出す人を説得しにくい②関連部門(開発や販売部門)を巻き込みにくい、目標を共有化しにくい③モノが出るまで社外のオピニオンやディーラーに理解させにくい などです。

一時、暗黙知を形式知へ!ということが盛んに言われました。(いまでも唱えられていますね・・・)企業活動である限り、経験と勘では組織力にならないと。で、なかなか形式知化されないものには、「そうやって昔ながらのやり方でやっているからダメなんだ」と切り捨てようとする風潮もありました。自分たちが理解できない暗黙のルールとかなんとなく共有化している価値観とかが、気持ち悪くてしょうがなくて放っておけないのですね。でも、本当はなかなか形式知に置き換えられないものにこそ、真の価値が宿っているのだと思います。それを理解するためには、自分からその世界にどっぷり浸かってみるしかないのだけど、いろんな部署を転々と渡り歩いてきた人って、それができない人が多いのです。

この可視化のパラドックスに、どこまで経営レベルと一緒に取り組めるか?がこれから重要だ、で終わっているのでちょっと消化不良なんだけど、最近のレポートとしてはよくまとまっていると思います。

企画としては、可視化しにく価値をどうやって見つけ、いかにわかりやすく関係者に提案できるか?という能力が益々求められてくるでしょう。技術トレンドと競合比較から、次の新製品の要求仕様を提示するだけの企画だけでは、性能イノベーション止まりで、とてもカテゴリーイノベーションなど起こせません。(センスのある優秀な技術者に任せておいてもそんなにブレない)

難しいけど、日常的にそういう意識を持つことからがスタートです。何か、これまでと異質の感性が求められているのです。異質であることが、大きな価値を生む時代になる予感が大いにします。しかも、20年前の異質は、好きなことを深く掘り下げていくクレイジーな○△バカであったのだけど、これからは、なんでも首を突っ込みたがる底の浅い拡散バカのようなタイプが面白いかも、なんて思っています。まったく勝手な妄想ですが・・・(笑)

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2007年6月17日 (日)

初めの一ヶ月

鬼海弘雄さんの写真集「東京夢譚」(草思社)を見ていたら、僕の自宅近辺の写真がとても多いことに驚きました。

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この家も自宅から50mくらい離れたところにあって、毎日のように前を通っていましたが、僕は一度もカメラを向けたことがありませんでした。そんなカットがいくつも発見できて、写真そのものに感動するのとは違った刺激をたくさん受けました。(この写真は鬼海さんの写真を真似て同じような場所から撮ってみたものです。フォトショップでレタッチしてます)

*************************************************************

あるとき、新人があなたのチームにやってきました。さて、最初の一ヶ月間をどうやって過ごさせますか?(もちろん、その新人のキャリアによっても変わることなのですが、ここでは仮にマーケティングや商品企画の実務に関わったことのない新人ということにしておきます)

社外のマーケティング研修に放り込んで、基本的な知識を短期間で叩き込むところから始めますか?それとも、経験者に付かせて、しばらくは一緒に会議に出したり資料作りの手伝いをさせますか?はたまた、現場第一と小売店の店頭に派遣して、直接お客さんの声を聞かせますか?
どれも間違っているとは思わないし、実際どれもアリ、だと思います。

僕が始めて企画部門に異動になったのは入社3年目ですが、それまで販売会社で直販セールスをしただけで、営業日報は書けても企画書らしいものなどまったく縁がありませんでした。コンセプトとかセグメントとかのマーケティングの基礎用語が飛び交う職場が新鮮でまぶしく、同時期に入社した奴等がそういう言葉を使って雑談していることに、気取った鼻持ちならない嫌悪感を抱きつつ、すごく焦りも感じたものです。

そこで初めて指示された仕事は、量販店や専門店、競合他社のショールームを回って、
カタログやPR資料などを集めてくることでした。これは、どこまで狙いがあって指示されたのかはわからないけど、とてもよい勉強になりました。いろいろなしがらみのない作り手の純粋なメッセージを凝縮させた”顔”としてのショールームと、売りという目的に合わせて、熾烈な競争の中でアピールする店頭という現場の実態。両方を対比してみることで、やりたいこととできていることのギャップが企業によって様々であり、各社の強さや弱さが、自分の目で体感できたからです。

今なら、各社のWEBサイトを閲覧するだけでもある程度の情報は集められてしまいますが、それでも自分足を使って体感することは、今でも労をかけるだけの意味があると思います。あ、このメーカーはテレビCFはやっていないけど銀座のこんな一等地に立派なショールームを構えているのだなぁとか、そういうことって自分の体で感じた方がいいのです。

さて、今の僕であれば、一週間単位で、自分のテーマを設定してもらい、自由に時間を使うようにしています。それによって、その人の関心が何で、課題を攻略するのに、どんなアプローチをしようとするのか?というその人の特性が垣間見えるからです。

まず自社の商品を徹底的に使いこなすことからはじめる人がいてもいいし、いろんな会議に片っ端から出てみる人がいてもいい。一週間机に座って、掲示板やユーザーブログを読み漁ってもいい。大切なのは、その一週間を終えたら、Face to Faceで感じたことや疑問などをじっくり話し合うことです。それを一ヶ月=4回繰り返せば、きっとこれからやらねばならないことがじわっと見えてくるはずです。(もちろん、そう簡単にはいかないかもしれないけど、それでもいいんです)即戦力は魅力的だけど、最初の一ヶ月はそのくらい余裕を持って迎え入れるべきです。受け入れる側、入ってくる側双方にとって、とても大切な出だしなのですから。戦力化への実践教育はそれからはじめれば十分です。

実はこういうやりかたは、迷いの見える現有メンバーにも(というかそちらの方が)有効です。テーマを抱えながら、教育プログラムの一環として取り組む方法もありますので、こいつ最近ちょっと迷路に入っているなと思ったら、一週間の特別テーマを与えてみることを考えてみるといいです。もちろん、その一週間は今抱えている仕事は一時保留するか、あなたがフォローしておいてあげないとダメだけど。

どの企業にも、新入社員教育のプログラムがありますけど、販売や設計部門などに比べて企画部門向け教育プログラムというのは無いのです。(意外かもしれないけど、”少ない”ではなく”無い”のですよ)そして、こういう新メンバー受け入れ時の対応方法は、あまたあるマネジメントやリーダーシップの本などでも触れられることがほとんどありません。
(自分が新しい部署で最初に何をすべきか?というのは多いんですけどね)それで、ちょっと自分のやり方を紹介してみました。

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2007年6月 9日 (土)

AIDMAなど色々と

今日は地元のお祭り。あんず飴食べながらぶらぶら・・・

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Miko  Temple

AIDMAという言葉は購買までの消費者心理をパターン化したマーケティング用語として、もはや古典的なものになっています。
  Attention(注意)
  Interest(興味・関心)
  Desire(欲求)
  Memory(記憶)
  Action(行動)

最近はこのAIDMAを参考に様々なバリエーションが出てきています。
以下に少しだけ紹介してみます。

買っておしまいではなく、その後の満足感にもフォーカスしたのはAIDCAS。
 Attention(注意)
 Interest(興味)
 Desire(欲求)
 Conviction(確信)
 Action(行動)
 Satisfaction(満足)

eコマースのマーケティングモデルとして参照されるのがAISASです。
 Attention(注意)
 Interest(興味)
 Search(検索)
 Action(行動)
 Share(共有)

さらに、もっと細分化したモデルの例として、こんなものもネットで見つけました。
 Attention(注意)
 Interest(興味・関心)
 Search(検索)
 Comparison(比較)
 Examination(検討)
 Trial(トライアル・試行・試用)
 Action(購買)
 Satisfaction(満足)
 Share(情報共有/エバンジェリスト化)
 Repeat(再購入)
 Relationship(ロイヤル化・関係化)
 Cross Sell/Up Sell(拡大購買)

覚えにくいけど、網羅的に良くまとめられていると関心しました。

また、AIDMAを使って好意獲得という面から以下のようなプロセスを設定することもあります。
 Aware(気づく)
 Imagine(イメージを培養する)
 Dream(夢を創る)
 Mean(意味づける)
 Act(演じる)

さらには、もうすこし長い目で顧客とのリレーションを見ていくフレームとして
AMTULSなどというものもあります。ロイヤリティ育成プロセスです。
 Awareness(認知)
 Memory(記憶)
 Trial use(試用)
 Usage(常用)
 Loyal use(愛用)

こうやって改めて紹介してみると、どれも突っ込みどころは満載ではあります。
例えばAISASの中で能動的な人はsearch(検索)から入ることもあるし、share(共有)は購入後だけでなくattention(興味)の段階から行われることもよくあります。ネット時代の購買決定プロセスといいながら、消費者は昔ながらの受動的な行動パターンを前提にしてしまっています。
ですから、あまりこれらのフレームにガチガチに固執してしまわないことが肝心です。

とはいえ、こういう類型化は、適切に活用すれば、自社の強みや弱みを整理して、マーケティングとして手を打つポイントを抽出するのに役立てることができるのも事実。扱う商品やサービス、狙いのコミュニケーションに応じて最適なフレームを選択できるように、多彩な購買決定プロセスを引き出しの中に蓄えておくことが重要です。
さらに、購入プロセスの中に潜んでいる新しい要因を見つけようという意識を持つことが大切。所詮、上記で紹介したものは、過去の事例を、他人の視点で整理したものでしかないわけですから。(これは同様のことを以前も書きましたが)マイAIDMAを作ることが、自分だけの新しい視座の発見になるのです。

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2007年6月 5日 (火)

女性プロジェクトの憂鬱

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女性だけで企画した商品の限界

「私たちが普段こんなのあったらいいなっ!っていうものを形にしてみたんです」
「実際に使う若い女性に考えてみようと彼女たちに任せてみました」こんな乗りの商品企画や開発プロジェクトの失敗をたくさん見てきました。女性だけのプロジェクトチームは雑誌の記事などで興味深く取り上げられますが、その後その商品がどうなったかの追跡調査はあまり記事になりません。

最近の例だと、SONYのデジタルカメラDSC-M2。女性の気持ちは女性が一番わかっている、というよくあるシナリオでしたが結果は大コケ。「ターゲットには好評だったんですけど、ちょっと大きすぎました」とよくある弁明。はっきり言って、この商品発表した時点で”売れない”ことは確信できていました、僕は。今だと、後からなら何でも言えるとなってしまいますが、本当にこういう商品は発表した時点でわかるんですよ。

女性だけのプロジェクトチームを作ること自体に無理があるのです。

その主な原因は3つあります。

その1.能力ではなく性別で選抜されたこと
男女雇用機会均等といっても今の会社の中で、企画の仕事をする女性の比率はまだ低いです。特に、メーカーではそれが顕著。そういう低いハードルの中で、女性ということだけで選出されたメンバーであることがその最大要因。

その2.メンバーの意識過剰
選抜された女性も、”女性ならではの発想”ということを意識しすぎること。おじさん達に「いやー、やはり女性だからこその発想だよねー、こういうアイデアはおじさんからは出ないよねぇ」と言われることが期待されていることをヒシヒシと感じ、それに応えようとします。
結果、おじさんたちの女性像に応える商品になり、逆に女性からは媚びた擦り寄っってくることへの”引く”。極端な話では、ピンクで丸っぽくすれば飛びつくと思われていることへの嫌悪感さえ生まれる。

その3.性別以外の嗜好差
次に、性差での嗜好よりも、その商品へのこだわりレベルでの嗜好の差の方が重要であるということ。こだわる人は女性でも機能重視です。要はその商品への関与度のほうが性別よりも、要求特性が異なるということです。

その4.好みの逆転現象
若い女性がモノトーンの渋いテイストを選択したり、中年男性がファンシーな可愛いテイストを選択したりするということが、日常化しています。固定観念で型にはめることが、現実とのずれを生じさせるのです。

こうしてみると、ターゲットに近い人間の方が、良い企画ができるわけではないのです。逆に近すぎて冷静に判断できないことなどがたくさんあります。僕の仕事の中でも、建設現場で作業員が使う商品企画を、そういう環境に全く無縁の女性に担当してもらっていますが、これが本当にしっかり良い仕事をしてくれているという目の前の事例もあります。

顧客視点に異議を唱える人はいないでしょうが、現場を知りすぎるといろんなことに応えてあげたいと考えるあまり、焦点のボケた機能満載のものになってしまうということもあるのです。いずれにしても、女性だけのプロジェクト!なんてことがニュースにならないように早くなればいいと思います。後で振り返ってみたら、あ、そういえばあのテーマには男がいなかったね、なんて気が付くくらいに自然に、ね。

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2007年5月27日 (日)

マーケティング研究所

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大きな会社になると、中央研究所なるものがあります。
個々の製品事業部で行う開発とは異なり、少し先を見据えた研究開発、要素開発を手がけるところですね。一時、”中研ブーム”で、どこの企業も設立した時期もありましたね。中には、純粋な技術的な研究をする場合もありますが、2年3年先に商品化することを目標にしたテーマを手がけるケースもあります。各事業部の研究開発部門との線引きは、企業によって異なります。

企業の活動の一環である以上、目に見える”成果”が求められます。あまり現業とかけ離れたことをやっているとなかなか短期で成果も出しにくいので”もっと稼げる技術を作ってくれよ”と外からも中からも言われるわけですが、そういう目先のテーマばかりやっていては、独立した研究部門としての存在意味がなくなってしまいます。

昔、ゼロックスのパロアルト研究所が、「世界的に高い評価を得ているけどそれが自社の事業に貢献していないじゃないか」という批判があり、「現業に役立つテーマに重点化する」って現実路線に転換したことがあります。ところが、途端に出てくるアウトプットの質が押しなべて低くなったという逸話もあります。技術者にはある程度の裁量を与えて、技術者ならではのセンスを活かした研究をさせるほうがよいようです。ある意味、雲の上でいいのかもしれません。世間知らずの技術バカ、その道で完全に”いっちゃってる”狂人のほうが、商売上手なエンジニアよりも、企業として投資効果が高いように思います。これは僕の経験則なんですけど、みなさんはどう思いますか?僕のような企画、マーケティングの立場から見ると、そういう人に魅力を感じます。”将来儲かりそうだから”より、”この実験データの曲線の美しさの虜になってしまっている”みたいな人の方が、話をしていて面白いんです。で、面白いだけでなく、結構その方が筋がよかったりする。

「こんなテーマで研究してみたいのですが」って言われたときに、「そんなもの市場性があるの?」「誰が欲しいといっているの?」「どこの事業部から要望があるの?」って問い詰めないような研究マネジメントのできる人が今必要なのです。万人を納得させて金を出させる技量がない優秀な技術者をそこで殺してしまわないこと。そんなことをすると、人材を活かせないだけでなく、研究所の組織そのものが各事業部の”御用聞き研究所””下請け開発会社”になってしまいます。そういう研究所は最近増えてきているようです。中央研究所は、技術で企業をリードするのが役割なのです。

さて、前から思っていたのですがマーケティングの中央研究所ってあまりないのです。昔、家電メーカーがライフスタイル研究所とか作るのが流行したこともありましたけど(今もカタチを変えて残っている)どうも継続しにくいようです。どうしてでしょうか?

・マーケティングが研究分野として体系化されていないから?←以前よりは随分と学問としての研究領域として認識されてきたと思います
・マーケティングは開発と違って、現場(=市場)の中でしかPDCAが回せないという思い込みがあるから?←マーケティングは市場で斬った貼ったの世界であり、売りもしない奴が集まって研究して何になるんだ、実践の中で学んでいくものだろう、といったところかな?

結局、そういうことはMBAとか広告代理店とかコンサル会社にまかせて、そこから出てきた気の利いたキーワードをつまみ食いして理論武装する、というのが企業のマーケティングの実態であると思います。コンサルなんて空論で時間単位に膨大な金をとるだけ!と毛嫌いする人は大勢いますが(僕もそれに近い考えですけど)、コンサル以上にちゃんと研究なんてしてもいないのが実態。マーケティングに長けていると言われる企業は、マーケティングセンスのある経営者がいるからとか、マーチャンダイジングがうまいというだけで、中長期的なマーケティングの研究ができている、ということとイコールではない、というのが現状なのです。実務に長けた人間が3K(経験&勘&根性)で取り組んでいるとか・・・

僕は、企業にもしっかりしたマーケティング中央研究所があるべきだと思っています。
そういうものをいつか作りたいな、と最近思い始めています。

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2007年5月16日 (水)

プロジェクトチームとか

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PT:プロジェクトチーム(又はPG:プロジェクトグループ)なんて、僕が会社に入ったころは、なんだかすごいミッションを持った特殊部隊のようなイメージがあって、そのメンバーに選出されるだけでも誇らしい気持ちになったものです。さらに、それを助長するような動きとして、ある家電メーカーの”金バッチ制度”なんていうのも話題になりました。PGメンバーは活動期間中だけ金バッチを与えられ、そのバッチを付けていると、いろいろな社内のシキタリやシガラミが免除されたり、権限が大幅に委譲されるというものでした。
そのうち、PGとかPTという言葉自体も新鮮味がなくなってきて、TF:タスクフォースとか、CFT:クロスファンクショナルチームなんていう名称も使われたりしてきましたが(どっちが先かは知りませんけど)それぞれに厳密な定義があるわけではなく、気分で命名されることが多かったと思います。

で、最近はというと、なんでもかんでも、ちょっとしたテーマが持ち上がると簡単にPGとかPTが発足しちゃいます。
「この課題なんとかしないとまずいよねー」
「うーん、確かにこれはちょっとうちだけでは手に負えないですね」
「ま、じゃあとりあえずPG作って検討させましょうか?」
って感じで、ほとんどQCサークルと同じような乗りです。

昔と大きく違うのは、権限委譲とかしないで、単に複数の組織からメンバーを選出して検討する単なるワーキンググループのようなものが多くなっているということ。

やらせる方も、”そこで出た結論をなによりも尊重する”なんて腹をくくって発足させていませんから、権限も予算も与えないで、「とりあえず知恵だけ出してみてくれ、あとはどうするかは俺が判断するから」みたいなオーダーになりがちです。(そこまで明け透けに言う人はさすがにいませんけどね)

だから、集まった顔ぶれもどことなく疲れちゃったりしてて、盛り上がりません。
「まあ、幸か不幸かこういうことになりまして、突然お前やれって先週言われて、私もどこまでやればいいのかまだよくわかってはいないのですけど、まずはこれまでの課題の整理からしていこうかと思っているわけでして、みなさんも忙しいところ大変だと思いますけど、日常の業務に負担にならないようにしたいと思いますのでひとつ宜しくお願いします」なんて、気の抜けた挨拶から始まっちゃうこともよくあるのです。

任せるほうは、多少ブレても任せたからには我慢する忍耐力が必要だし、任せたことをちゃんと言葉でも態度でも表すべきです。(僕の場合は、まかされる側にいたことが多かったわけですけど、大抵の場合、幸運にも上司がそういう配慮をちゃんとしてくれていました)また、任される側は、最初に求められているアウトプットが何なのか?そのためにどこまで権限(人、物、金)が与えられるのか?を確認すべきです。それをしないで、なんか損な役が押し付けられちゃった、なんて思うのは自分の責任です。アウトプットって、わかっているようで、何度確認したと思っても、結構食い違っていたりするものなんですよ。ほんとに・・・

で、僕の経験から、このように様々な部署から人が送り込まれてチームを運営するときのこつをひとつだけ紹介します。それは、自分以外に一人でいいから、純粋にそのテーマに燃える熱い奴を確保することです。
よく、PGの成功のポイントはリーダーの強い情熱である、なんて書いているビジネス書を見かけますが、そんなの当たり前。大前提。でも、現実にはリーダーが燃えれば燃えるほど、チームメンバーは引いちゃいます!(きっぱり断言)
「なーんか、燃えちゃってるよねー、まいったなー」
「まあ、ここで大きくアピールしたいんじゃない?最近目立ってないしさ」
「いいじゃん、やらせておけば、おれ忙しいしあんまり仕事振られないようにしよ」
なんて会話が目に浮かびます。
チームリーダーは、自分の考えをしっかり持った上で、淡々と粘り強くメンバーの意見を引き出すこと。そして、自分の気持ちを代弁してくれる誰かをメンバーの中に入れておくこと。時に、その誰かに緊張感を与える刺激的な発言までしてくれればしめたもの。ということです。ただ、そういう人間がいつも仕込めるとは限りません。その場合は、”個別に、1対1で”熱く語り続けるしかありません。きっと、最初は斜に構えていた人たちの中から、「しゃーないな、ちょっと真剣に付き合ってやるか」って思ってくれる人が出てくる、はずです。出てくるまであきらめないこと。決して自分が熱く語っちゃわないこと。それがチーム活動をうまく運営するコツだと思います。
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2007年5月10日 (木)

言葉を付けること

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名前を付けるということは分類化しただけのことであって、そのものを理解したことではない。しかし、往々にして名前を付けたことで、安心してしまうことがある、それでは本質はいつまでもわからない    -小林秀雄の言葉-

言葉にすることで、ジャンル化して理解したような気持ちになることの危険を警告しています。理解したと自分で思うと、その先を知ろうとしなくなってしまうのですね。最近お会いしたクリエイターの方が冒頭の言葉を引用されたので、思い出しました。

同じ内容のことは以前のエントリにも書きました。団塊ジュニアとかロハスとか、誰かが命名した言葉を安易に使って企画を練るな、ということですね。最近は、WEB2.0とかロングテールとかセカンドライフなんて言葉が散りばめられた企画書は、ちょっと心配になります。

本筋を見ているのか?ベストセラーを読んだ後のハイな気持ちのまま(熟成させずに)勢いで書いた企画書だったり(そういうものの良い点もあるんですけどね)、流行の言葉を散りばめることで、企画の内容が時代の先端を捉えていることをアピールしているだけ、ということもよくあります。

気がつかずに安易にやっちゃうこともあるので、注意、注意。

かなりやばいレベルの多忙な日が続いています。どっかで調整しなくちゃ・・・

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2007年5月 7日 (月)

4P+3C

いい感じの深場。こういうところに魚がたまっている・・・・・はず

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オタク市場に適したマーケティングフレームとして、従来の4P(Product、Price、Place、PR)に加えて3Cの重要性が注目されてきましたが、昨今はこの3Cがもっと広い範囲で注目されてきています。3Cとは、Collection(収集)Creativity(創造)、Community(コミュニティ)です。簡単におさらいしておきます。

Collectionとは、数量限定、地域限定、期間限定など希少価値を高めたものとか、シリーズを揃えることの楽しみを提供するものなど、いわゆるコレクターアイテムとして扱われる要件を具備していることです。

Creativityとは、自分でカスタマイズできるとかストーリーを選択できるとか、複雑なプロットで解釈が多岐に渡るようなものなど、自分の創造性を後から付加できるような余白(のりしろ)があることです。

Communityとは、そんなCollectionやCreativityの情報交換や裏話などを材料として、ユーザー同志が情報交換しあえる場があること、同時にそんなCommunityが常に活性化できるようなネタが継続的に提供されていることです。

現在は、オタクという言葉も死語になりつつあるのと同様、この3Cも限定されたマーケットではなく、広い意味でのマーケティング上のキーワードになってきています。
マニアとかハイアマチュアとかが目立つ趣味性の高い商品ジャンルだけでなく、最近ではチョコレートから化粧品や日用品まで様々なジャンルで意識されています。今、盛り上がりをみせている商品やサービスを眺めるときに、この3Cの要素がどのように取り入れられているか?という視点で捉えてみるのもいいと思います。同時に、それが意図したものか想定外のものか?というところも重要です。

というようなことを書いておいてなんですが、こういうフレームを使うときに注意して欲しいことが1つだけあります。こういう既製のマーケティングフレームを使って、世の中の事例を分析・整理してみるのは、マーケティングセンスを学ぶためには有効なことですが、そこから新しいトレンドや価値は見つからないということです。綺麗に分析・分類できると、そのビジネスモデルが理解できた!っていう早とちりをしてしまうことがよくあるからです。4P3Cとは別の何か(2Aだったり5Bだったり?)を考えてみるところまでをやってみることが重要なのです。

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2007年5月 2日 (水)

クリエイティブがメディアを作る

春の海~鎌倉にて 久しぶりに望遠レンズを持って出かけました

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街の公園のクズカゴにバスケットゴールを付けてナイキのマークを付けると、そこがナイキのキャンペーンに変わる

スマートで粋なプロモーションというのは、仕掛ける方も楽しく、仕掛けられる方も心地よく感じるものですよね。にやりと笑って乗ってみたくなる、そういうプロモーションに出会うとうれしくなります。素敵なCFを見たときにちょっと得した気分になる感じ。得てして、そういう作品はクリエイティブな面にだけ注目が行き勝ちです。もちろん、センスは重要なのですが、根底に流れる企業のフィロソフィーが感じられるものでないと、面白さが共感につながらないように感じます。

さて、上述したナイキのプロモーションと同様に、僕の好きな広告コピーに、こんなのがあります。

VWはかっこ悪い

この手法は、アイロニック広告といって、宣伝している商品の批判を含む広告です。単に奇を衒って注目させるのではなく、そこに企業のメッセージが凝縮しているから、心に残るのだと思います。(今、同じことをやったら、ちょっとあざとさが感じられて引いてしまうかもしれないけど、当時はよかった)

ところで、ブランドは広告では作れません”と言い切っておきます。

広告宣伝しないからブランドがない、弱い、というのは誤りです。また、良い商品さえ出していればブランドは自然に作られる、というのも誤りです。形成されたブランドを維持するのが広告であるという考えを僕はしています。そういう意味で広告は大切です。正しい方向の商品があることは大前提として、こまめな広報活動や小さなプロモーションの積み重ね、社員の行動や発言、そういうものこそがブランドを作っていく、ということを改めて理解するべきです。

そういうことがわかっていない人間があまりにも多すぎます。自分がブランドを作る一因であるという自覚がなく、宣伝しないからブランドが弱いとか売れないとか、そういう愚痴や批判ばかり言う人間がたくさんいます。そういう社員がいればいるほど、誇れるブランドはいつまでたっても出来ないのだよ、あなたたちのそういう日頃の言動が今のブランドを作っているのだよ、っていうことを心底理解しなくてはいけません。

これは、決して理想論とか精神論ではないのです。個人の影響力が注目されている昨今ですので、数年前よりは、理解できる人が増えてきているとは思っていますけど、まだまだです。理屈はそうかもしれないけど、と言う人の方が多いのが現実。

あえて極論すれば、インナー向け(社員教育)に広告をして、それを見て振舞う社員や顧客の言動がアウター向け(将来の顧客)の広告になるというくらいの考えで、これからのコミュニケーション活動を見直してもいいのではないか?と考えている今日この頃です。

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2007年4月30日 (月)

決めて育てるのか?

近所の公園にある小さな藤棚が、満開になっていました

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まず人を決める、という現在の人材育成への反論

”後継者が育たない”という問題は、経営者に限ったことでなく管理職共通の課題です。「どうやったら人を育てることができるんでしょう?」という問いに、今の人材開発や経営コンサルタントが答える常套句は、「人を育てるという前に、まず育てたい人を決めなさい」です。

みんなを公平に育てて、その中で優秀な人材が抜け出してくるのを待っているような悠長な時代ではないということです。まず”俺の後継者はこいつだ”と決めて、そこから徹底的に教育していくのだ、ということです。昨今の企業の教育担当部署も、概ねこういう考え方をベースにしています。

僕は、この考え方に賛同できません。強い拒否感、嫌悪感さえ持っています。世襲で家を継がせる場合ならこういうこともあるかもしれませんが、一般の企業でこういう方法論が人材育成のテクニックとして認知・指導されていることは容認できません。入社3年目までに、”こいつは幹部候補”というシールを貼ってもらえなかった人は、自分がそういう見方をされていることを知らされずに、家族や子供に支えられ励まされながら何十年もその会社で働いていくのです。あるとき、「あ、自分は幹部路線からはずれてしまったのだな」と気が付くのですが、もうその時は遅いのです。せめて、入社3年目とかに「幹部コースかその他コースを提示しますので、それに納得できたら引き続き働いてください」という提示があれば納得できると思います。でも、どこかで知らないうちにコースが決められてしまっているのが実態なのです。”10年前に就職した自分の旦那や息子が、すでにそういうふるいにかけられた後なのだ”という認識が、世の奥さん、ご両親に今現在あるのでしょうか?しかも、結構あいまいな基準でそのふるいをかけている現実。

「甘いなぁ」って言葉が聞こえて来そうですけど(笑)

でも、これって経営とか管理という名を借りた傲慢さの縮図です。
企業は成長し続けることが宿命である→成長あっての社員の幸せである→成長には人材が必要である→だから決め打ちの幹部教育も止むを得ない、という理屈。そこには、選ぶ立場、選ばれる立場はあるが、選ばれなかった立場はありません。せめて、選ばれなかった立場の人が、次のコースを選ぶ選択肢を示してあげるのが、選んだものの責任だと思うのです。そこがちゃんとフォローできないで、こういうやり方をしていることは問題です。その点、公務員の方がはるかにオープンです。良い悪いは別にしても、国家公務員上級をパスしなければ、頑張ってもここまでね、という相互の暗黙の認識の上に成り立っているわけですから。

同様に、部下の業務評価を出すときには、”こいつを次のリーダーにする”と決めたら、他の評価をあえて落としてでも高い評価をするのが”コツ”だと言われます。73、71、65、63、62点の5人のメンバーがいるとします。その通り評価したら、他部署の幹部候補生に次のポストがとられる。73点のものを次期リーダー候補にしたいなら、それを85点として、他を69、63、61、60に落とす。これが評価のテクニックだと。後継者を早く育てる正しい上司の姿と教えます。会社でどんなに風采のあがらない親爺だって、使えない若造だって、家に帰れば誰にも換え難いお父さんであり、子供なのです。彼らの家族を思い浮かべたら、そういうことってなかなかできません。

毎年、そんなことでいつまでたっても考えてしまいです。きっとこれからも・・・

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2007年4月22日 (日)

経営トップのクセ

                T_dsc_0010

ミッツバーグの指摘する「経営トップの傾向」をご紹介します

・定量的情報より定性的情報を好む
・読むことより、会話を好む
・逸話的な情報を集める
・他人の一般論には非常に懐疑的である
・グランドデザイン的な決定を避ける
・小さく積み上げていく決定を好む
・全体戦略は自然に生まれてくるのを待つ

「あるあるっ!」って感じじゃないですか?顧客視点だって声高に言う経営者ほど、この傾向が強いような気がします。n=1の現象を、たまたま自分が聞いたり見たりしてしまうと、それにばかりこだわってしまうのですね。

会議の冒頭で、「昨日うちの近所のお店をのぞいたらな、そこの店員の対応がすごくよくてねぇ。いやー、やはりこれからはコンサルティング的な顧客接点が重要だと実感したねぇ。そういう視点で当社の販売戦略を見直してみたらどうか、と思っているんだがね」なんて、始まっちゃうわけです。
そこで「いや、社長、私も最近ですねぇ・・・」なんて追従する腰ぎんちゃくが1,2名いたら、もうそこで30分くらい盛り上がっちゃいます。前日、徹夜して揃えたマーケットデータなんて誰も見てくれなくて、泣いている担当者たち。

ちょっと笑いますけど、こういうシーンって結構あるんです。でも、優秀な企画者はそんなこと、しっかりわかっていた上で、振り回されずにうまくコントロールするのです。

プレゼンの冒頭に、「実は今日ここに来るときにコンビニに寄ったのですけど・・・」なんて、経営者が食いつきやすい逸話を紹介するところから入るなんてことはよくあることで、「社長のご自宅には今電話が何台ありますか?」なんて質問から入るのも、一つのテクニックですし、「巣鴨の商店街に異変が起きています」なんて一見無関係なネタから入るケースもあります。”つかみ”はプレゼン成功の半分をにぎっている、といっても過言ではないと思います。最初の1分で、どこまで相手と同調できるか?が勝負です。

また、大きな経営判断を迫る戦略提案の時は、必ずマイルストーンを設定して、ステップ論で提案したり、シナリオを複数用意して、消去法で選択しやすくしたり、折衷案の選択肢を用意することなども、重要です。

誰だって、”あんたのこの決断が我々の明日の運命を決める”なんて突きつけられたらつらいですよ。それを、うちのトップは煮え切らないとか決断力がない、とか愚痴るのは可哀そうでしょう?(たまには、ほんとにもういい加減先延ばしにせずに決めろよ!って思うことだってありますけどね)だから決断しやすいように、いつでも退却できる道も準備しておいた上で決めてもらうとか、が必要になってくるのです。消去法とか折衷案でデシジョンする人が多いのは、日本人の特性もあるのかも、と思いますけど・・・

もっと小賢しい企画者はトラップを仕掛けたりもします。
相手が得意なポイントにわざと突っ込み所を仕掛けておいて、そこに突っ込みを入れさせるのです。的確な指摘ができたことに満足して、本当に議論すべきポイントへの注意が希薄になってしまうことを狙うわけです。で、最後は時間切れみたいになって、「うん、あー、じゃあとのところは任せるからきっちりやりなさい、くれぐれもさっき話したところは修正しなくてはだめだからな」なんていう形に持っていってしまいます。

意図してやって「案のじょうあそこで突っ込んできたな」なんてほくそ笑むこともありますが、結果的にそうなってしまって、担当者も苦笑いしながらも「ま、いっか」なんて結果オーライのことも多いでしょう。

志が同じベクトルにある上司に対してこういうトラップは必要ないし、僕自身はこういう手練が好きではないので今は封印しています(笑)。
ただ、相手の関心事や得意分野などを事前にちゃんと理解しておくことは、提案者としては基本であり、とても重要なことです。そういう意味でミッツバーグの経営者の思考傾向は参考になると思います。でも、経営者も千差万別。ほんっと、いろんな輩がうじゃうじゃいますからね。資料のページがふっていないだけで、不機嫌になってまともに話を聞いてくれない人とかもいるみたいだし(笑) まー、これは会社の世界だけではないですね。

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2007年4月20日 (金)

気分は感性の主軸ではない

”気分は感性の主軸ではない”

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久石譲さんの近著「感動を作れますか」で書かれていました。コンスタントにあるレベル以上のアウトプットを出していくためには、その時々の自分の気分に依存しないことだと言います。”今日は乗ってる”と感じるときは誰でもあると思いますが、その”乗り”に依存してしまうのは危険なのだと。年間数百のライブをこなすジャズミュージシャンは、毎回自分のテンションを高めることがとても難しい。気分が乗っているとき=良い演奏ができるとき、にしてしまうと無理にテンションを高めようとドラッグに手を出すことになる。これ、いろんな仕事でもいえるような気がします。趣味なら気乗りがしないときは、やらなければいい。でも、仕事だとそんなこと言っていられないですから、なんとか自分をごまかしごまかし仕上げることだってありますよね。(大物の中には、やめたっ!って宣言しても周囲が待っていてくれる人もいるらしですけど、それはレアケース)プロって、結構淡々とコナシテイルようなところありますよね、実際には。”お決まりのパターン”って言うと、なんかマンネリで手抜きのような印象があるかもしれないけど、そう言われるようなパターンを持っていることは素敵なことだし、そんなお決まりできっちりあるレベルのアウトプットが毎回出せることもすごいことです。苦しくなったら、お決まりのパターンに持ち込む、それはそれですごいことじゃないですか。自分の勝ちパターンに持ち込むことで、マイナス気分の防波堤を作れるのではないでしょうか?

以下の3つは同じ本の中で、ちょっと心に残った言葉をランダムに列記して紹介しておきます。

・音楽で画面をなぞるようなことはしたくない
 (悲しいシーンに悲しい音楽を流すと、画面がウソっぽくなる)
 
・「私はバカが大嫌いです。バカってうつるんですよ」
 (これは久石さんが歌舞伎の女形の言葉を紹介したものです)

・モノを作る人に必要なもの
 1.作るものへのこだわり
 2.独善に陥らないバランス感覚
 3.タフな精神力

(普通のことなのですが、コマーシャルな世界で生きてきた人の言葉として説得力ある)

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2007年4月 8日 (日)

後付け組織の無駄

桜も終わりだ、と思ったら、まだ咲いているところもあるのです

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大企業の良いとイヤなとこ、を前回のエントリで紹介しました。
良い面も悪い面ももっとたくさんあるので、人それぞれベスト3が異なると思いますから、俺はそんなことより、これが良いところと思うぞ、という意見もたくさんあると思います。こういうこと、たまに整理してみると、飲み屋で愚痴話で盛り上がっているおじさんたちも”まあ、そう言っても、まんざら捨てたもんじゃないかな?”なんて思えるかもしれません。何が不幸かって、自分が不幸だ、恵まれていない、って日々思って暮らしていることが一番不幸ですからね。

「今の仕組みは公平で透明な評価になっていない」って愚痴を言った部下に上司が「おまえ、ほんっとうに、公平で透明な評価されちゃっていいのか?」って真顔で言ったら黙っちゃった、っていう笑い話があります。まあまあ、楽しくいきましょうね?!

で、今回はそれのちょっと補足的な意味というわけでもないのですが、会社の中でもっとも無駄だなぁと思う組織を1つ紹介してみます。業界、業種を問わずどこの会社でも見かけるものです。ちょっとよそ見すると、こういう弊害がすぐ出てしまう、ということです。

<後付けでまとめるだけの組織>

ある自動車メーカーで、定年をあと5年に控えた元開発部長が言いました。
「これからは幼児が舐めても安全なモノ作りが大切になる!」
安全性の要求を様々な面からデータで示して社内を説得し、予算を確保して「幼児安全性推進室」という新しい部署を作りました。そして、幼児安全性推進月間とか幼児安全性年度目標などを決め、各事業部から幼児安全性委員を選出してもらって、全車種で幼児安全性品質目標を設定することを義務付け、登録してもらい毎年期末に、幼児安全性大賞を選定して表彰する、ことなども行い精力的に様々な取り組みをしました。

ある車種の商品開発部署での会話~
「おい、また次車種の狙いの安全項目を提出しろって依頼が来てるよ、なんかあるか?」「えー、新しいチャイルドロック機構は昨年出しちゃったしなぁ、安全性を考えていないものなんで一つもないから、車ごとハイこれですって言いたいけど・・・あ、そうだ、そういえば今度使うシート素材は糸屑がでないのが特徴なので子供が舐めても大丈夫ですよ」
「あ、じゃあそれ出しておいてよ」

某日の役員会議の席上で~
「君のとこ、最近どうなの?」
「はい、おかげさまで社内でも随分と啓蒙活動をしてきたお陰で幼児安全性に対する理解が高まってきております。来週、その成果を大賞受賞式でご披露できると思います」
「あ、そう、やはり安全の時代だからねぇ」

この会社では、幼児安全性推進室ができたことで書類仕事の必要経費が増えただけで、商品はそれまでと同じように安全にしっかり作られているのでした。

毎日やっていることなのに、わざわざ啓蒙、推進する組織を作って、作ったからには目に見える成果が欲しいから、後から集めてきて、自分たちの推進の成果だ、みたいにまとめる。また、上記のような極端な例までいかなくても、最初の一年だけ機能した横串的な組織が、既に形骸化してしまっているのに存続し続けているケースも多数あります。いずれにしても、このように成果の”後付け”をする組織というのは、無駄なだけでなく余計な書類作りや会議を増やして邪魔な場合が多いのです。

IBM(だっと思う)では乱立した推進室を揶揄して、”推進室通り”というの呼び名の通路があったと聞いています。組織職から外れた人が、自分の地位を確保するために作ってしまうこともあるかもしれませんが、たいていは盲目的に信じてやっているので、かえってやっかいなケースが多いのだけど。

横串組織とか、総合、統合機能なんていうお題目が出たら要注意!
推進室、○△センターなんていう言葉も危険信号ですよ。
って、僕も今までそんな組織に身をおいたことが何回かありまして・・・(笑)

2回続けてちょっと楽しくない話題になってしまったかな?

次回からは、また企画の話に戻ります。

あー、それにしても川の匂いを嗅ぎたくなってきたぁ。

ゴールデンウィークまでには絶対行くんだっ!

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2007年4月 3日 (火)

大企業ってどうなのよ?

多摩川土手を散歩。桜の下で飲み食いする花見が好きじゃないので、僕の花見はいつもお散歩

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企画に関することをつらずら買いていますが、今日はちょっと趣向を変えて、こんなタイトルにしてみました。会社員生活20年以上してくると、企業の居心地の良さや、企業に所属しているメリットを実感することと同時に、会社というシステムの欠陥や狡さもよく見えてきます。そういうことをお付き合いのある様々な企業の方々と話をしていると、どこも同じであることが見えてきました。そこで、大きな規模の企業に勤めるメリット、デメリットを、一般的に言えることとして、ちょっと整理してみました。

ここがいいぞ!大企業 BEST3

(1)いろんな仕事が経験できる
組織が大きければ大きいだけ、総務、法務、広報、宣伝、開発、企画、販促、営業、QA、サービスなどいろんな業種や職種があります。就職する前から”自分の天分は広報にあり!”なんて確信している人なんてほとんどいないでしょう。いろんな仕事を経験しながら、自分に合った仕事を見つけることができるのです。設計事務所に入ってしまっていやなら転職するしかないですが、会社の中で転職がきく、というのは大きなメリットだと思います。ただ、これは後半のイヤな面にもつながるのですけどね。

(2)大きな挑戦ができて、失敗しても取り返しがきく
個人より動かせる資金があります。それだけ大きな挑戦が可能になります。金がたくさん使えればいい、というわけではないですけど、やはり自由度はあるでしょう。億単位の投資なんて個人はなかなかできませんし、仮に出来ても失敗したら立ち直すことは容易ではないでしょう。大企業なら、挑戦することができるし、仮に失敗してもそれで会社の経営が危うくなるということもないし、来月の給料が半分になっちゃった、なんてこともありません。だから、”失敗を恐れずに!”なんて、自営の方が聞いたら「いい気なもんだね」と思うほど、安易に言えるのです。でも、この甘さが、そのまま甘い経営、甘い企画になることもたくさんあるわけですけどね。

(3)社名で最初の門はくぐれる
会社を名乗ればアポイントくらい取れる、というメリットがあります。いきなりメールしても結構簡単に会ってくれますし、話を聞いてくれます。個人であれば、なかなか最初の警戒心を解くことが難しい、ということが多いのではないでしょうか?

ここがイヤだ!大企業 WORST3

(1)評価は驚くほどあいまい
立派な人事や教育システムはあります。でも、現場の人事は部門長の経験と勘で行われているのが、どの企業でも例外なく現実です。人が人を評価するのですから難しいことではありますが、お気に入りを強引に昇格させることが簡単にできるシステムであるということです。プロ野球の査定評価の方がはるかに科学的です。又、評価結果について、「なんか変ジャン」っていうファンやマスコミの声が、一つのお目付け役になっていますが、そういうお目付け役がいないシステムなのです。だって、なんか変ジャンって言いたい人間も、同じ人に評価される立場にいるわけですから・・・きっと外から見る以上にファジーなシステムです。だから、上ばかり見て仕事する人間がいるわけですけどもね。

(2)責任を負わせるかはその時の都合

責任が問われたり、問われなかったりが、本当にあいまいです。刑事事件でも起こさない限り、責任をとらせるか否かの基準はないのです。挑戦して失敗したのではなく、明らかにマネジメントの手落ちによるような失敗であっても、です。これも上記と同じですが、利害関係にない第3の目がないからでしょう。部下に責任を取らせるということは、その部下を監督していた自分も同時になんらかの処分を受けることを、自ら甘んじる覚悟が必要になるわけですから。その点、役人の方が厳しい目に晒されています。市民がいつも監視していて、何かあったら説明を求められます。

(3)イヤな仕事でもやらなければならない
これはBEST3の(1)に書いたことの裏返しです。大企業に就職したら自分のやりたい仕事ができる保証はありません。設計一筋でやってきた人間が「君、明日から品質管理部へ行ってくれ」と言われることもあります。超一流大学で経済学を学んできて、これからは実践的なマーケティングができると意欲を燃やしてきたら、サービスでクレーム対応担当になることもあります。”何事も経験だから”という殺し文句には黙るしかないのです。昔は、これも一つの下積み、修行であるという考えが一般的でした。でも、今は、例えば20代の一番ノリノリの貴重な5年間を会社の都合で修行したくない、という考えが増えています。

さて、どうでしょう?いろんな仕事ができて、会社の金を使って大きな挑戦ができて、会社の名前を使ってネットワークを広げることができて、そして一応安定した収入が確保されている、という、やっぱ気楽な稼業ときたもんだ~、の良い面。反面、評価/責任/人事のプロセスや基準が恐ろしくファジーでクローズドなところで決められていき、誰もそれを正面切って追求することができないシステムで、自分のビジョンやシナリオ通りの仕事ができない、上ばかり見る人間がうろちょろしている、イヤな面。どちらも、どんな業界のどんな会社でも同じです。やっぱ会社勤めっていいよなーと思うか?やっぱ耐えられないなーと思うか?

結局、そういう良い面も悪い面も理解した上で、あまり目先のプラスマイナスにとらわれずに淡々と自分のやりたいことを続けることが、会社の中で生きているコツではないかなぁと、思っています。そうしないと疲弊するだけだし、何十年働いても自分の足跡を残すことができないと思います。

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2007年3月30日 (金)

「全員参加の企画」の幻想

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-営業の声をもっと商品に反映させよう
-やっぱりマーケットインでしょう、顧客の声を一番知っているのは販売なんだから
-販売部門も企画段階からモノ作りに関わって行こう

よくある大きな勘違い
業績不調の事業に限ってこんなことを言い出す人が必ずいます。

「売れないのは商品が弱いからだ」
「開発はなんにもわかっていない」
「俺たちが言うことを聞いてくれない」
「結局苦労するのは販売だ」

なんて感じかな?
でもね、営業がモノ作りに参加しても良いものは作れませんのです。
じゃあ、どこで意見を言えばいいのか?それは日常のフィードバックなのですよ。

モノを販売して市場のリアルな反応を常にタイムリーにフィードバックするのが販売の仕事。そういう定性的なデータと、定量的なデータをあわせてみながら、ビジョンや戦略に沿った企画を立案するのが企画の仕事。企画の提示した仕様に対して、達成手段を検討しつつ技術的な視点から別の価値を提示するのが開発の仕事。それぞれがプロとしてきっちり仕事をすることこそが重要であって、隣の工程が頼りないから俺らが行っていっちょ意見を言ってやる!というのは大きな誤りです。

もちろん、たまにはコミュニケーションの材料としてとか、ガス抜き(←あー、大人言葉ですねぇ/笑)に、各部門が集まってあーだこーだと意見交換するだけなら、それはそれで意味があるでしょう。が、それで良い商品企画ができて、作れると思ったら大間違いです。せいぜい、現状の競合他社の良いところ寄席集めのごった煮商品しか発想されません。そういうことを説明するのに、僕がよくする例え話を紹介してみます。

名シェフは、素材にも口を出すが、手元にある素材を使って、どれだけおいしく料理できるかに真剣に取り組むのです。新鮮な食材なら、手をかけないで素材の良さをそのまま活かして出すほうが喜ばれます。獲れたての魚は、煮たり焼いたりしないで、刺身で出すのが一番おいしいですよね。でも、いつも新鮮な素材ばかりとは限りません。鮮度の落ちた食材でも、そのよさを一番引き立たせる調理法を選択して、おいしく食べてもらえるようにするのが、名シェフです。そのために、お客さんのことを良く知っていなくてはならないのだと思います。「仕入れが鮮度のいい食材を持ってきてくれないから、良い料理ができない」と不満ばかりいっているのは名シェフとはいえません。
(ちょっと話が脱線しますが、プロのクリエイターはいろんな困難な条件を付けられれば付けられるほど燃える、ということを聞きます。写真家でも自由に撮って下さい、というより素人が無理難題を押し付けてくるほど熱くなる人もいると聞きました)

さらに、うちの仕入れは当てにならない!と、獲れたての魚を求めて、シェフが漁場や市場に出かけてしまうのはナンセンスです。それでいいなら、シェフは調理場をアルバイトにでも任せて、仕入れに職替すればいいのです。(もちろん、中にはそんなコンセプトのお店もあるかもしれませんけど、そういうお店は産地直送や産地にある店にはかなわないと思います)

最適な調理法を考えられる、そういう優れた販売部隊は、商品力が強いとき、弱いときという波を、多少緩和させる防波堤(バッファ)になれるのです。それが、販売の底力なのです。

最高の食材があるときはシェフなんかいらないです。下手に手を加えずそのまま食べた方がおいしいです。同じように強い商品があるときは、販売はうまく出荷コントロールをしていくだけで売れていくのです。鮮度が落ちてきたとき、いかに味を引き立てて満足させることができるか?が重要なのです。

というようなことを考えずに、「販売もモノ作りに積極的に参画していこう」というのは、力の入れるところを勘違いしてしまっている、ということです。自分たちがやらねばならないことをしっかりやりなさい、ということです。

もちろん、本当に企画がどうしようもないテイタラクってこともあるのですよ。でもね、そういうときは、全員参加の企画をしよー!じゃなくて、企画自体を変えなければいけないのです。今回書いたこういう勘違い、結構いろんな会社で行われていることなんです。マーケットインなんて言葉にだまされちゃだめですよ。

そして、企画としては「やっぱあいつらプロだよ、いろいろ不満もあるけど、俺らの考える先をちゃんと見てるよ」って言われるようにならなければねー!

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2007年3月26日 (月)

見込みのなさそうな大義のみが戦うに価する

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               さくらんぼの花

”見込みのなさそうな大義のみが戦うに価する!”

出所は失念しましたが、とても印象に残って書き留めた言葉。見込みの有無と価値の大小には連関はないはずです。でも、見込みがあると思えば、目敏い人間が寄ってたかって戦いに加わってきます。見込みがなさそうで誰もが戦いを避けたくなるものの中でも、自分が命がけで戦って勝ち取りたい、と思えるものにこそ価値がある、と言っているのではないでしょうか。企業の中でも、プロジェクト発足のときなどに、見込みの有無を敏感に感じて、そこに加わるか傍観者を決め込むかを判断する人がいます。「あんなのどうせうまくいきっこないから、あんまり首突っ込まない方がいいぞ」なんて露骨にいう人もいるし・・・大抵そういうこというのって上昇志向の強い中間管理職に多いですね。自分にとって、意味があるのかないのか?で判断したいですよね。そうじゃないと、面白くないじゃないですか?

で、今回はちょっと趣向を変えて、”逆もまた真なり”で遊んでみます。見込みがなさそうな大義のみが戦うに価する!なんて、かっこいいフレーズを紹介しましたけど、そんな自分が時により、状況により、

 ”負ける戦はしない

なんて考えたりすることもあります。もっとネガティブな表現では、

 ”勝ち馬に乗る

などというのもありますよね。これらは決して批判的な言葉ではなく、戦い方の基本として言われてきたことです。どれが正しいか?勝ち負けを最優先に考えればこれらの方が正論です。

もう一つ紹介してみます。
必勝法などの話で、よくインタビューなどで紹介される言葉があります。

 ”負けないコツは、勝つまで続けること

なんか格好良いですよね。あきらめちゃあいけないんだ、成功している人はあきらめずに
頑張った人なんだ、と。でも、一方で 

引き際が肝心

というのがあります。”引き返す勇気”とか”諦めが肝心”なども。

冷静に考えると、前述の”勝つまで続けること”って、例えば1%の成功者だけがいえる言葉です。99%の人はどこかで諦めているのです。でも、成功者がその人たちに向かって、”勝つまで続けないから”なんて言えないはずです。

その時々で都合の良い言い方ができてしまうし、どの言葉が正しいかではなく、何にこだわりを持つかで、使う言葉も変わってくるのでしょう。あまり言葉の雰囲気だけで判断しない方がよさそうです。だって、成功者がインタビュワーに「秘訣は勝ち馬に乗ることです」なんて絶対言わないでしょ。実際にそうやって成功をしてきたとしても、なんか悪者キャラ決定!ですからね(笑)

でも、自分がこうなりたい、という言葉を決めておく方がいいかも。見込みのなさそうな大義にも、勇気を持って挑戦していけるようになりたいです。

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2007年3月22日 (木)

「売る」広告(前回の補足)

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”広告とはものを売る手段であって、それ自体が輝いてみえても何の意味もない”

現代広告の父と言われているオグルビーの言葉。いきなり紹介したのは、前のエントリでデザイン家電の押しつけがましさについての批判を書いた後で、広告業界でも同じような問題があることを思い出したからです。

有名な広告は覚えているけど、何の商品であったか覚えていないというのはよくある話です。(エリマキトカゲの広告の例がよく紹介されますね)でも、そういう広告が大きな賞をもらったりしているのも事実。その広告で売上が増えたのかとか、企業のブランディングにどれだけ寄与したのか、といった視点がないので、結局一番喜んでいるのは広告代理店のCMクリエイターだけだったりするわけです。これで食いっぱぐれはなくなったぞ、と。これって、デザイン家電を使ってデザイナーが自己表現するのと同じです。商品ではなく広告を広告しているのです。

まあ、この辺の広告問題は結構いろいろなところで議論もされているので、このくらいで終わりにします。で、オグルビーを紹介したので、もう一つ彼の言葉を紹介します。

”広告は常に変えようとする攻撃に晒されている”

以前のエントリで、「変わることも難しいけど、変わらぬ勇気も重要なんだ」「変革こそ正義という考えは間違いだと思う」というようなことを書きました。それらは経営理念とか事業戦略、商品戦略に対する考えであったのですが、トレンドセッターを自負している広告業界のような中で”変えないこと”を貫く難しさは相当なものでしょう。ビジョンや商品コンセプトは長く変わらなくても、広告はその時々で変わっていくもんだろう、という固定観念がありますから。オレが一発変えてやるぜって狙っている人達が多いですしね。でも、そんな華やかな広告の世界でも、長く続けているものにはそれなりの信頼と風格が出てくるものなのだ、というのです。

オグルビーは、優れた広告の条件を聞かれたときに、それは30年耐えられるのかな?」と答えたといいます。商品ではなく、広告ですよ!30年っていったら商品のライフサイクルどころではなく、その商品のジャンル自体が変わってしまっている年数ですよね。レコードがCDに、ビデオがDVDに、ブラウン管が液晶に、などという世代交代のサイクルです。オグルビーは、それを十分わかっている上で、30年持つのか?と言っているのです。僕の前のエントリで、「流行を追って自分を変えない」、「自分の信じた価値と今の流行のギャップを冷静に見る目がマーケティング」ということを書きましたが、流行作りに一役買っている広告の世界でもこういうことが言われているのですね!しかも、これらは今から20年以上前の本に書かれているのです。いま読み返しても全く色あせていませんので、興味があればどうぞ!

  「売る」広告 デビッド・オグルビー著(誠文堂新光社)1985年

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2007年3月21日 (水)

デザインを感じさせない秀逸なデザイン

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デザインを感じさせない秀逸なデザイン

仕事の関係で交わりのある方の表現です。デザイン家電というジャンル(?)の商品が以前から嫌いだったのですが、その気持ちをうまく表現してくれた言葉です。そう、デザイン家電はデザインが押し付けられてとても不快なものが多いです。

デザイナーだけでなく、クリエイティブな仕事に関わっている人は誰でもが、程度の差はあれ、どこかに自分の痕跡を残したいと思います。それはもう本能のようなものでしょう。逆にいえばそのくらい自意識の強い人でなければやっていけない世界とも言えます。商品企画でも、プログラマーでも、エンジニアでも、です。(でも、ここではデザインの話に絞って話を進めます)

デザイナーが、芸術家ではなくクライアントから仕事をもらって仕事をする立場であれば、表現するのは、デザイナーのアイデンティティではなく、クライアントのアイデンティティです。そこにデザイナー個人の癖や匂いが出てしまうのは、他人の庭先に犬が勝手にマーキングているようなものだと思います。それをしたいなら、請負仕事ではなく自分の作品として発表すればいいのです。

ただし、個人の名前を出することを前提にした仕事の場合は当てはまりませんから、混同しないでください。誰の作品かをクライアントが明示するということは、その人の個性に乗っかりたいからです。その場合は思う存分自分らしさを発揮してやれば、その主張も含めてクライアントは満足するはずですから、それを一緒にして論じるのは誤りです。

プロになればなるほど、自分を抑えることができます。ちょっと脱線しますが、「タワーリングインフェルノ」という高層ビル火災を題材にした娯楽映画がありました。ご覧になった方も多いと思います。主役はポール・ニューマンとスティーブ・マックィーンの二人です。ポール・ニューマンは火災を起こしたビルの設計者であり、マックィーンはそこに颯爽と乗り込んでくる消防隊の責任者です。もう誰がどうみても、マックィーンの方がカッコいいのです。でも、ポールニューマンはマックィーンに食われたのではなく、食わせたのだと、いうのが映画通の評価でした。しょぼい役を演じ切ってマックィーンを光らせれば光らせるほど、ポールの役者としてのプレゼンスが高まった、ということです。

新進の若手は、少ないチャンスの中でなんとか自分の存在を示したいので、どんな小さな仕事にも、ちょっと自分のアイデンティティを付ける細工をしたがるものです。それがデザイナーの嫌らしさ(押し付けがましさ)のようになってしまうことが良くあるのですね。

(これは実話ですが)以前、某大手家電メーカーのデザイナーが独立して、デザインブランドを立ち上げました。台湾メーカーの1個1000円程度の電卓をベースにカラーリングだけでブランド商品にして5000円以上で販売しています。工業製品なのに、キータッチは最悪、液晶も醜いのです。「でもほら、おしゃれでしょう、これからは家電もデザインが付加価値になる時代なのです」と彼らは自信満々に言っていました。デザイナーの鼻もちならなさ、傲慢さが最も出てしまっている例だと、僕は嫌悪感さえ持ちました。(今でも有名デパートで販売していますけどね、買う人、いるのかなぁ)これ、あるコラボ企画の売り込みだったのですが、はっきりとお断りしました。

企画でもマーケティングでも、同じことが言えます。今日では、優秀な製品を作り、それを卓越した方法でマーケティングするというだけでは不十分です。卓越したマーケティングも、卓越した方法でマーケティングされなくてはいけないのです。なぜなら、マーケティングの手法自体も評価される時代だからです。マーケティングだけが先走った会社は、「なかなかうまい戦術だけど、俺はそんな手には乗らないよ」という拒否感を持たれてしまいます。うまいマーケティングは、「あの会社はユーザーの気持がわかっているな、あの戦略に乗るには思う壺でちょっと癪だけど、まあ今回は乗ってやるか」となるのです。勘違いしてはいけないのは、手管にまんまと乗せることができたのではないということです。手管を見透かされた上で、あえて乗ってもらったのだ、ということを肝に銘じて置くことです。それを忘れなければ、傲慢になってしっぺ返しを食らうことも少ないはずですよ。

事業戦略としてよく言われる”顧客囲い込み”なんてことも、戦略自体が洗いざらい白日の下に晒させる、ことを念頭において取り組まなければなりません。囲い込まれると知ったユーザーの気持になれば、当然のことですよね。囲い込みが得意な企業が苦戦しているのも、この辺に問題があるからだと、僕はとらえています。

企画したことを徹底的に感じさせないほどスーッと心に入り込んでしまうか企画したことがわかりつつもそのテクニックが上等であえて乗ってみたくさせてしまうか、どちらかがが良いように思います。中途半端な仕掛けが、引かれちゃうのです。

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☆そろそろ、川の匂いが嗅ぎたくなってきて、体がムズムズし始めています!

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2007年3月16日 (金)

狙いに行ってハズす

    こういう裸電球って、最近見なくなりましたね。(最北端の酒蔵にて)

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バットを短く持って当てていけ」って言われて、ガチガチに緊張して当てることしか頭にない。おいおい、三振だけはするなよって言ったのにぃ・・・なんてケースありますよね。

反対に勝敗が決まっていて、「気楽にやっていいよ」と言われるとかえって実力が発揮できなかったなんてこともあります。

同じ人でも、場面によっても、いろいろです。

どんなプレッシャーにも負けずに一定の結果を出すのがプロのお仕事です。
どんなに消化試合でも、出場したからにはきっちり仕事をするのがプロです。

以前、テレビでプロ野球を見ていた時、外野手がフライを落としました。その外野手が太陽にグラブをなんどもかざしていました。”陽が目に入った”ことを、ベンチや観客にアピールしたかったのでしょう。照れ隠しもあったかもしれません。それを見た解説者が、「この選手はまだまだだね」と言いました。一流のプロではないと。とっても説得力がありました。

プロは状況を言い訳にしてはいけないのです。なかなか難しいことですよね。

上記のようなプレッシャー対策としては、自分がどの程度の緊迫状況が一番心地よく実力が出せるか?を自分で把握しておくことが良いと思います。ギンギンに張りつめた状況がよければ、そのように持っていけばいいし、その逆もアリです。

自分は、適度のプレッシャーがある方が、結果が良いように思います。ちょっと心臓ドキドキ、くらいです。実はうちの娘は高校受験の時「面接って面白いんだねっ!」ってにこにこして帰ってきました。プレッシャーに強いのか、ただの世間知らずなのか?(笑)

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2007年3月14日 (水)

変革は周辺から生まれる

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新しいものは必ず端っこから生まれる
~端は渦巻きの中心が見えるから、そして、他の渦巻きとの接点があるから~

(最先端人間は渦巻きの中心に行きがちです)

僕の扱ってきた商品は、会社の中では”その他”に分類されるようなものでした。だから、上記のような見方に勇気づけられて、よーしいつか俺たちが変えてやるんだ、なんて自分を鼓舞してきました。いまでも、在野というのか、反主流意識のようなものが、良い意味で自分のモチベーションを支えてくれています。

長く周辺に居続けると、拗ねて世の中を斜めからばかり見るようになってしまうことがあります。そういう人は周りにも結構います。僕も、時としてそうなっていることに気が付くことがあります。そんなときは、学生の頃読んだ三浦綾子著「氷点」の主人公陽子の言葉を思い出して軌道修正をかけるようにします。

「石にかじりついてもひねくれない!」(このアンバランスな表現が心に残ってしまっている)

心のキャリブレーション”という感じ。

ちょっとカッコ付け過ぎで恥ずかしいけど、なかなか的を得た表現で気に入っています。
結局、周囲の環境もひっくるめて、自分を楽しんでしまった方が、勝ちだと思うからです。
(実際には、それができずにいつでもクヨクヨしてしまう自分がいるから、こういう言葉が心にあるのですけどね)

ちょっと大きい会社になると、新規事業推進室(社長直轄だったりすることが多い)のような組織があって、現業の延長戦上ではない、新しい事業を模索することをミッションとする部門がよくあります。僕も昔兼務でそういう組織にいたことがありますし、似たようなものは現在でもあるはずです。

たいていそこに集まってくるのは、知的レベルが高く、能動的で先進的、少しオタクっぽくて、IT好きな連中と決まっています。そして、そういう雰囲気を持ったコミュニティが形成されます。ところが、そういうところからは中々新しいものが生まれてこないことも事実です。
(案外、現業であくせくやっている担当者が自分の身近なヒントを膨らませてビジネスにしてしまうケースの方が、はるかに多いのです)

オープンでフラットな環境や、いろんなことに首を突っ込む時間とお金を与えられて比較的のびやかに活動ができる”というところまではシリコンバレー的な雰囲気を気取ることができているのですが、結局、シリコンバレーの仕事スタイルを表面的になぞっているだけで、最先端の仲間入りしている心地よさから抜け出せていないのです。だから、日々議論をし続けて(コンセプチュアルな議論は得意だし大好きです)何も生めないのです。

だいたい、そういう組織に2年以上いたら、もうそれだけでだめです。本当に事業を起こせる人なら、2年以内にもう次のステップに移行していますよ。

では、なにが足りないのか?といえば、ある種の”狂気”がないからです。
WEB2.0だ、ロングテールだ、と借りてきた他人の言葉で議論はできても、彼らが最先端なのではなく最先端の動きを他人より少し多くキャッチして発信しているだけなのです。こてこてのメーカーの中でなら、それでもそういう紹介をして新しい刺激を振りまくことだけでも多少は意味があるかもしれませんが、そこから次のステップには絶対にいけないですね。結局良くて社内啓蒙家、社内論説委員止まりでしょう。

新しいものは周辺から生まれます。それも狂気を持った周辺から。でも今脚光を浴びている人は、もう渦巻の中心にいってしまっている人たちです。彼らをいくらトレースしても、これからの時代を作ることはできません。ベストセラーを追いかけるな、もっと誰もまだ存在に気が付いていないものに光を当てろ、そうでなければ実事業をやっている中に入ってしまえと。

ビジネスの原石、それは意外と自分の身近・日常にあったりするものですよ。絶対にラスベガスの展示会場には落っこちていませんよ。周辺をもっとしっかり探索しましょう!

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2007年3月11日 (日)

企画の構え方

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企画の構え方<五箇条>

いつもこうなりたいなと思っているのに、なかなか出来ていないことを5つのキーワードにまとめてみました。僕の考える企画者としての基本的な心得みたいなものです。自明のことも、聞き飽きたこともあるでしょうが、人それぞれ捉え方も微妙にズレていたりすると思います。その“ズレ”が面白く、企画の感度・可能性であると思います。みなさんの“鍵”はなんでしょうか?これまでのエントリと重複するものもありますけど、整理する意味で改めて紹介しておきます。

1. TrendよりもVision & Identity 重視
「これからどうなる」よりも「これからどうする」です。トレンド分析するだけでは横並びになるだけというのは何度でもうるさいくらい言い続けています。競合他社の商品スペックを分析しても、(それ自体は重要なことですが)オリジナルな価値を作り出すことはできません。流行に右往左往しないで流行を作るコツは、”売れる商品を作りたい”ということを一旦横に置いてみることです。そして、世の中を眺める前に、自分の心の中をよく覗くことです。数年後の他人の心の移り変わりを予測するよりも、自分の中の真実を見つけ出すことに思考のプロセスの中で、ブレない何かの価値が見つけられると思います。マーケティングで商品を作ろうと思うな、その商品が顧客から見てどのポジションに位置づけられるかを探る道具としてマーケティングを使うのだ、ということです。

2. Spec.よりもStory & Context 重視
物語消費の時代~劇が演じられるところが劇場になる(いつもどこかで小さな路上劇が始まる)、とは寺山修二の言葉です。商品が役者とすれば、企画はシナリオライター、販売は演出家、開発は劇団でしょうか?特定商品のスペック検討をする前に、その商品が使われる物語や、生活の中でのシーンを想像することが大切です。それを省略して、どんな仕様なら売れるか?というスペック談義にすぐ入ってしまうから、すぐに行き詰まってしまうのです。良い役者を育てるだけでなく、良い舞台と台本を考えることも大切です。

3. Outline&CenterよりもDetail & Edge 重視
意見を聞くより行動を見ることです。自分が将来欲しいものを明確に答えられる人なんてほとんどいません。ユーザーアンケートで要望を上から順番に実現しても、たっぷり時間をかけた平凡な横並び商品しかできません。今だに“顧客起点”を“ユーザーに聞く” に短絡させてしまう人が多いのですが、これは大きな誤りです。ユーザーに確認はできますが、新しい発見はないと思った方が良いのです。(1)新しいことは周辺から始まる (2)ランク外の動きを注目する、(3)あいまいな答える人を無視しない/あいまいな中に本音がある、そんなポイントを抑えて、日ごろからメインストリームよりも周辺の動きに目配せしておくことが重要です。僕の経験からその言うと、そのためには、20%くらいのバッファーを作って仕事をすることです。ピンピンに張りつめた状態では、周辺に目くばせする余裕もなくなってしまうものです。

4. StandardではなくCreativity 重視
新しい発想やプロセス自体に価値があると言い切ります。企画の仕事を標準化しないことです。プロセスを常に変えていくこと。そのためには、いつでも創造力が最大限発揮できる感性のアイドリングに努めることが大切。平たく言えばいろんなことに頭を突っ込んで、いろんな人から学ぶこと。結局、人から受ける刺激が一番の燃料になると思います。同時に日常の仕事もルーチンにしないこと。例えば、企画書を定型フォーム化しない、ということなど些細なことから挑戦すればいいと思います。自分だけの企画書、そのテーマならではの企画書を作ることも、アイドリングを高める一つの方法です。結局、企画は”人”だと思います。誰がやっても一定のレベルのアウトプットが出せるようなプロセスを作ることが、組織の中の仕事というものだという考えがありますが、僕はそうは思っていません。

5. PerformanceよりもChallenge 重視
Aさんはいつも目標130%で達成率60%なので130×60=78の実績を出す人です。Bさんはいつも目標70%で設定しますが、達成率110%をコンスタントに達成しているので、70×110=77の実績を出します。管理する立場から見れば、Aさんの方が計算できる使いやすい人材です。いわゆる、”約束は控えめに、成果は大きく”という大人のお付き合いができる人で、こういう人がビジネスの世界では信頼してもらえる人でしょう。でも、企画はあえて前者でいくべきです。ベテランになればなるほど”落としどころ”や自部門の達成度ばかり意識してしまいます。そんな小賢しい小役人ばかり増えたら、仕事は楽しくなくなります。なかなかできることではありませんが、そんな組織って危ういけど魅力的だと思います。成果が示しやすいとか報告書にまとめやすいという観点で、重点施策の内容や目標設定をする、という本末転倒はしないことを肝に銘じておきましょう。ヤンキースのトーリ監督の言葉を紹介しておきます。「良い監督は、結果の数字ではなく選手がその時々の状況をどうさばいたかを覚えているものだ」帳尻合わせだけして体裁を作っても、見ている人は見ているんです。

少し長くなってしまいましたが、どうでしょうか?まとめると・・・

①ビジョンとアイデンティティをまず作ること

②目の前の商品が活きるストーリー・文脈をイメージすること

③データや言葉にしにくい行動や小さな動きにいつも注意を払うこと

④仕事をルーチン化せずに小さな作業にもオリジナルな知恵や工夫を盛り込むこと

⑤目標を定めるときに落とし所ばかり気にしないこと

これが僕の考える”企画の姿勢”です。

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2007年3月 9日 (金)

どーんと!

見たいと思えばいつでも行けると思って油断してしまうと、最近綺麗な富士山をまともに見てないなー、なんてことがあります。たまに見ると、とても新鮮で感動できるなぁー!

      T_dsc_0015

我々は探求をやめてはならない。そして、我々すべての探求の最後は、初めにいたところに戻ることであり、その場所をはじめて知ることである。
-T.S.エリオット-

そうかぁ、最後は元居たところに戻るのかぁ・・・

なんか詩的で、心に残る好きなフレーズだったので、昔書き留めておいたものです。

この言葉を見つけてから、もう20年くらい経ちます。

僕は、今どの辺にいるのだろう。

初めにいたところからまだまだ離れていっているのか、

それともそろそろ戻る道を探し始めているのか?

今いるこの場所が、実は最初にいた場所だった、

なんてことももう少ししないとわからないだろう。

猿の惑星のラストシーンではないけど、

悲観も楽観もせずに見つめなおす時期に来ているかもしれない。

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2007年3月 4日 (日)

10年後に自分の子供に話せること

     T_temple

先月仕事で行った京都のお寺で(フォトショップで調整済み)。旅はどこにいくか?より誰と行くか?がとても大切だったりする。気持ちの良い一日を過ごすことができました。感謝! ところで、アジア系の観光客(日本人も含む)より欧米人の方が日本の文化を真正面から見つめようとしているように感じることが多い。

プライドの持てる会社・事業
①会社の歴史を振り返ってみて、もっとも自慢できることは何か
②  〃       〃   恥と思うことは何か
③今現在、全員が誇りを持って取り組めることは何か
④10年後に誇りを持って振り返るには、今何に取り組めば良いか
                  (超優良企業は革新する/ P.H.ウォーターマン)

日々の仕事に追われて、気持に余裕がなくなってくると、知らぬ間にそれらをうまく”こなす”ことにだけを考えるようになってしまいます。その人がどんなにビジョンや長期的な構想、戦略を描ける人間であっても、です。"こんなことやっても意味ないよなー"なんて内心思いつつも、その処理方法が充分わかっていて次の仕事が山積みになっている時は、は、”ま、いっか”なんて、さっさと片付けてしまおうと思ってしまうのものです。楽チンですからね、その方が。

グレシャムの法則
人間はイノベーションを要する作業と机上のルーチン作業がある場合、後者を優先する

最初にこれを見たときは、ん?逆じゃない?と思いました。新しもの好きで飽きっぽい私のような人間にとっては、ルーチンは退屈で耐えられないけど、新しい挑戦は、それだけでワクワクしてしまいます。でも、心とか体が疲れている時は、机上のルーチンをこなしている方が楽なんです。ルーチンはアウトプットがちゃんと出るから、なんか仕事をしている気にもなれるのです。

だからこそたまには、こんな自問をしてみることが大切です。
おい、本当にそれが、今(今だからこそ)、自分が(自分だからこそ)本当にやるべきことなのか?”
もう少しアレンジしてみると良いと思います。
例えば、小さく子供のいる親なら、
10年後に自分の子供にお父さんはこんな仕事をしたんだよ”って誇りを持って話せるには、今何ができるのだろう?”って考えると、より現実感が増すと思います。

」って、とても脆くて移り気なものだと、思っておく方がいいのです。

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2007年2月28日 (水)

セグメンテーションは戦略立案ツールではない

  飛行機雲はよく見るけど、機体がこんな風に奇麗に見えることって少ない

           (箱根の大涌谷で撮った一枚です) 

   Air

セグメンテーションは戦略立案のツールではなく戦略そのものである

これは引用でなく、僕がいつも言っていることです。
一般的には、戦略立案とは、①市場を特定し、②分類(セグメント)し、③自社のポジションを確認して、④強みと弱みを理解したうえで、⑤自社の進むべき方向を決めて、⑥選択と集中という経営資源の配分をする、というのが、基本的なプロセスです。

この中で、セグメンテーションとは、市場やユーザーをなんらかの基準によって分類することで、要求特性や価値観、商慣習などを理解して、自分たちがそこにどんな価値が提供できるか?どんなビジネスチャンスがあるか?を探出すための重要な手法と認識されています。例えば、市場を携帯電話市場と見るか、1to1コミュニケーション市場とみるかで、ビジネスの方向もチャンスも変わってくるわけです。

しかし実際には、セグメンテーションをした時点で、ほとんどの回答が出てしまっていのです。極端な話、4象限の十字マトリクスで縦軸と横軸を何にしたか?で、戦略は8割がた決まってしまっているということです。これは、とても大事なポイントだと思います。
ビジネス研修などのワークショップなどでは、最初に「さあ、それではまず自分たちの市場を確認するために、客観的に分類してみてください」というところから入るケースが多いのですが、客観的にというよりも、従来の価値基準でとか業界の共通認識で安易にセグメントしてしまって、結局出てくるプランも新鮮味のない(=そのまま競合他社でも使えるような)ものになってしまうことが、とても多いのです。

一定のレベル以上のプランナーであれば、自分の考えをロジカルに訴えるために、なんとでも軸を変えることが可能であることを、僕は知っていますし、そういう事例をたくさん知っています。だから、セグメンテーションはツールではなく戦略そのものだと捉える必要があるのです。

2年前ほどにベストセラーになったブルーオーシャン戦略という本があります。他社と横並びの消耗戦をレッドオーシャンと命名して、そこからオンリーワンの市場(ブルーオーシャン)で生きることの重要性を説いた本です。辛らつな言い方をすれば、ブログの一日のエントリーでかけてしまうようなシンプルなことを丁寧に解説した本です。(大切なことを言っていると思っているので、内容を否定しているのではなく、単行本にするほどのものではない、という意味ですけど)
で、その中でレッドオーシャンの泥沼に陥る思考パターンを以下のように列記してます。

レッドオーシャンの泥沼
・他社と横並びの業界定義に沿って、業界一位を目指そうとする

・一般的な戦略グループ(高級車、低価格車、ファミリーカーなど)の概念に沿って

 業界を眺め、自社の属する戦略グループで抜きん出ようと努力する

・オフィス機器業界なら購買担当者、アパレル業界なら利用者、医薬品業界なら影響者

 というように、他社と同じ買い手グループに焦点を当てる

・製品やサービスの範囲を他社と同じに定義する

・機能志向、あるいは感性志向といった業界の特性をそのまま受け入れる

・戦略を策定する際に、同じ時点、しかも往々にして現在の競争状況に着目する

この部分は冒頭で僕が言いたかった、セグメントした時点で意志が入っている、ということを、もう少し具体的に説明してくれています。

もう一つ、ジャンルは違いますが、最近読んだ本の中でゲルハルト・リヒターさんの言葉

“我々はあらゆるものに名前を与えることによって物事を決め付けてゆがめている”

これはさらに厳しい見方でしょう。でも、ある真理であると思います。
まあ、そこまで突き詰めて考えないとしても、せめて誰かが命名したカテゴリー分けの言葉(ファミリー層、ライトノベル、カジュアル等)を安易に使うことで、知らぬ間に思考が停滞してしまっていることのないように、十分気をつけましょう。特にマーケティングの新用語には要注意ですよ!

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2007年2月25日 (日)

マーケティングの本から学ぶこと

      Dog_1

ここ一ヶ月くらいで読んだ本

ビューティフルネーム(鷺沢萌)、非バランス(魚住直子)、昆虫力(赤池学)、四度目の氷河(荻原浩)、ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論、シャドーワーク-知識創造を促す組織戦略(住和生、徳岡恒一郎)←これ僕が出てます(*^_^*)などなど

企画、マーケティングの多くの本で、内容よりも勉強になることがあります。タイトルとか装丁とか版形、頁数、本の厚み、そして価格などです。

本にするからには一人でも多くの人に気づかれ手にとってもらい、買って読んでもらいたいはずです。で、人にどうやったら売れる商品が企画できるか、売れる仕組みが作れるかを教示するプロが、自分の本をどうやってプロデュースしているか?それってすごく面白いじゃないですか?だって、自分の本を売るマーケティングができない人に、マーケティングを教えてもらいたくはないよなー、って思うから。

マーケティングの本って、簡潔に説明したら原稿用紙10枚で十分な内容を100枚にしている印象があります。でも、彼らも商売、ネタを小出しにしながら、少しづつ切り口を変えたり増やしたりしながら、本を出していきます。新しい本が出たと買ってみたら、3/4は前著の焼き直しだったりすることって結構多いです。

でも、本のプロデュースは勉強になります。○△力っていうのが流行れば、誰よりも先に企画力とかプランニング力とか、タイトル付けたもん勝ちです。最近では、企画2.0なんで出せば、一応目は引きますから(まだそういうタイトルの本はなかったかな?)。カラフルな装丁が多いときは、あえて黒とか白一色の表紙の方が目を引くし、タイトルもなるべくスポーツ誌風のセンセーショナルなものがたくさんあります。

もちろん、文学作品のタイトルや装丁だって、作家、装丁家、出版社がいろいろ工夫してやっているわけですし、マーケティングの本もそういう専門家のノウハウが注入されてはいるわけですが、最終的にジャッジするのは著者であるはずですから。

ということで、本屋さんのマーケティングコーナーで繰り広げられているマーケティング戦争は結構面白いのです。

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2007年2月21日 (水)

残さず食べなさい

                       美瑛白金温泉近くの渓谷 by GR DIGITAL

            Snow

「残さず食べなさい、貧しいアフリカの子供は食べるものがないんだよ」
「私が全部食べたら、もうアフリカの子供はおなかをすかせないの?」

河合隼人さんの本からのメモです(どの本だったかは失念) 
知らないうちに都合の良い精神論に置き換えてしまったり、他人の力を借りて自分の考えの正当性を示すことって、結構あるように思います。

テレビで高校野球を見て熱くなったお父さんが、子供に向かって「見ろ、お前と同じ年だぞ・・・」なんて言います。あ、でも今はむしろ「人それぞれ、人生いろいろだからお前が好きなようにやればいいんだよ、熱血だけが若さの特権でもないしな、ははは」なんて物分かりの良いお父さんの方が多いかな。

「俺たちが毎日汗水たらして売っているのに、あいつらお茶飲みながらネットで遊んでばかりいやがって!」なんて、どこの会社でも聞く不満です。大抵が、販売部門や開発部門がスタッフ部門に対して言う言葉。本社のやつは現場がわかってない、と。実際には、外回りに出たらとりあえずお茶でも飲んでから、です。僕も入社後数年営業経験があるのでその辺の実態はよくわかっています。優秀な営業ほど、自分のペースでしっかり遊んでいるものです。でも、会社の中では「俺たちがこんなに苦労しているのに!」となるのです。もう、これって癖みたいな常套句なのです(笑)これもひとつの精神論への置き換えのようなもの。

他人の力を借りて自分の正当性を補強しようとするケースも結構あります。「イチローだって子供の頃はこんなに努力していたんだぞ」とか、他人を例に出してのお説教。仕事もそうですが、子供に対して、僕はこういう安易な例示をすることに、とてもとても注意してきたつもりです。
「もっとこうやれ!」と叱るときに、“みんなやっていることだろ”とか“あの人を見なさい”とか極力言わないようにしてきました。恐らく一度もそのルールを破っていない(はず)。

あの人を見なさい”は“だってあの人もやっているじゃん”と“僕はあの人とは違う”という言葉に対しては何の抵抗力もありません。そう言われた途端、自分の土台が崩れてしまいます。一見理屈にあっているように見えて、すごくずるい言い方だと思います。

だから、「こうしなさい」と言ったとき「なんでそんなことしなくちゃいけないの?」と返されたら、「それが正しいと思うから」とか「それができない人がとても醜く見えるから」とか「それを信じてきたし、お前にもそうなって欲しいから」というような説明をするように心がけてきました。これらの言葉は、とても脆弱で突っ込みどころ満載ですが、少なくても他人の力を借りずに、自分を考えを相手にぶつけるので、言葉に言葉で応戦するだけの表面的な言い争いではなく、ちゃんと議論になることが多いです。

因果関係のない精神論や他人の力を借りて正当性を高めようとするよりも、“俺はそう信じているんだ”って素直に言ってみると、結構本音で話し合えるものです。最初の引用も、どうして残さないで欲しいのか、本音をぶつけていればあんな言葉を返されることなく、素敵な会話が広がっていったと思います。

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2007年2月19日 (月)

変化は正義か?~または根魚と回遊魚のバランス~

                                                                            美瑛 by GR DIGITAL 

   Biei

前回、分析の塔に閉じこもる症候群のことを書きましたが、今回はちょっと別の見方をしてみます。僕は、人間を改革派と保守派に区分して、後者を抵抗勢力として悪のレッテルを貼ってしまうような、単純図式化が嫌いです。僕自身は昔も今も、気持ちとしては毎日改革派です。冒険しない人たちに対して、いらつきながらも時に熱く語り、ときに策を弄してその気にさせることに大きなパワーを割いてきました。まあ、“そういうのを乗り越えて企画を実現するから面白いのだよ”なんてカッコつけることもできるけど、実際に直面すればカリカリ、イライラばかりです。でも今回は、それは一旦置いておきます。で、ちょっと冷静に考えてみます。

ビジネスの世界も千差万別ですけど、“千三(せんみつ)”なんて言われるくらい、目論み通りにいくことなんて、そうそうありません。で、仮にその言葉通りとすると、997/1000回は失敗してるわけです。997回分は頭の固い保守抵抗勢力の方が(結果的には)正しいことを言っていた!ということです。何が言いたいかというと、革新は、結構な確立でこっぴどい痛手を伴うことを覚悟すべきである、ということです。それを、「変わらないこと事自体が悪である、変わること自体に意味がある」というような、心地良いフレーズを安易に唱えるのは結構やばいでしょう、ということです。

これ、書きながら結構自分の思考と逆らっていることを自覚しています。脳内ディベートのつもりで書いてますので、破綻するかもしれません(笑)

大人は、「そんなのだめだよ、うまくいかないさ」って言っておけば99.7%は正しい評価をしたことになることが体験的にわかっているのです。「ほーら、俺の言ったとおりだろう、だからだめだっていっただろう」って言うのはちょっとずるいよなー、と思います。予測があたるか当たらないか?を競ってどーするの?そうやって、益々図に乗って、保守のお城を高く築いていってどうするの?と思います。

まとまりがありませんが、要は保守することも革新することもそれ自体にはあまり意味がない、ということが言いたいのです。

根魚と回遊魚~仕事のスタイルとして~

ひとつの仕事を長くライフワークとして突き詰めることで自分ならではの価値観やスタイルを習得していくタイプの人(=根魚タイプ)と、様々な業務を渡り歩いてスキルアップを図っていくタイプの人(=回遊魚タイプ)がいます。本人が意識して選択する場合もあるし、結構たまたま後任者がいなくて結果的に一箇所に留まってしまったとか、人事異動のローテーションに乗ってしまった、なんてケースも多いです。で、大抵、根魚タイプは回遊魚タイプに対して、「何にもわかっていないのに一般論だけで現状を分析して、改革の必要性を説くバカ」とか「自分のスキルアップのステップとしか事業を見ていないやつ」とか批判します。
逆に、回遊魚タイプは根魚タイプに対して、「閉鎖的、保守的で自ら変革することができないやつ」「一箇所に長くいること自体が悪を生む」などと言います。でも、どっちも“あり”なんです。自分に適したスタイルを選択すればいいのです。改革と保守も、回遊魚と根魚も、分類自体に正誤はないのです。ということを心の片隅において、型にはめて人を見ないようにしましょうよ。

最後に、新規事業阻害要因というのがあったので紹介しておきます。
1.今の事業で充分という現状肯定型
  ①現在の事業が成長し続けるという幻想
  ②①のようには思っていないが考えたくないという主観的願望型
  ③事業が好調なうちに将来への布石を考えない経営無知派
2.あえてリスクを背負いたくない慎重派
3.忙しくて資源を振り向けられないという近視眼者
4.新事業のネタが見つからないといっている五里霧中派
5.今の立場、仕事から離れがたいという鎖国派

自分には絶対こんなことはないと思っているけど、

たまにあるんですよ

気づかないうちにこのどれかに当てはまっいてヤバッって思うことが・・・

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2007年2月15日 (木)

自叙伝のワナ

出張時に撮ったお気に入りの一枚、右上のゴミはご愛嬌ってことで・・・

     Hill

人間が自分自身について書くと、その書いた内容に自分の性格を適合させようとする。
経営者の自叙伝では、偉大な経営者の素晴らしい顧客志向について必ず触れられる。
市場志向の世の中では、顧客なんてくそくらえなんて公に口にするCEOはいないから、業績があがればそれは彼が顧客中心主義だからということになる。商品が売れるということは、顧客が満足しているということで、ということは経営者は顧客志向だということになるのです。
かつて成功した経営者が、本に描写されているような虚構の自分になりきろうと顧客寄りになると、うまくいかなくなる。エクセレント・カンパニーのトムピーターズは企業の死神と言われている。彼がベストセラーで取り上げた企業は、その本がペーパーバックになる前に失敗ないしは倒産していることが多いという。引用された会社が自らをベストセラーに適合させようとし始めるからだ、ということ。

なるほどねー、って感じでメモしたものです。

自叙伝とまでいかなくても、事例発表とかセミナーとかで自分のやったことをプレゼンすることがありますが、パワーポイントのページが増えていくにしたがって、「おまえ、本当にそんなこと考えてやってたの?あの決断のときって、本当は何を考えていたの?」と思って、自分で少し恥ずかしくなることってありませんか?

他人にプレゼンするときって、
“なんとなくそう思ってやってみたらうまくいった”
とか
“よくわからなかったけどとりあえずいいかな?と感じたので”
とか
“ここは誤っても大勢に影響なさそうだから適当に流したんだけど”
とかって絶対に言わないですよ。ロジカルに思考と決定プロセスを説明した方が、かっこいいし、聞いている人もなるほどなぁ、って思うでしょう。

でもね、実はそういうあいまいであやふやな決断って、結構ありますよ。全然関係こと考えていて、突然「そういうことで、いいでしょうか?」なんて聞かれて、焦って「あ、いいんじゃない」なんて咄嗟に答えてしまって、後で確認しちゃったりとか・・・

本当はそういうあいまいさがすごく重要なのだと思います。が、そこは整理されていないので、光が当たらないのです。少し前に形式知と暗黙知という概念が紹介されて、暗黙知を形式知化することが、知識を共有化して組織力を高めていくために重要、という考えが提唱されましたが、暗黙知を形式化するプロセスにおいても、上記したような“書きやすい内容にあわせて形式知化してしまう”ことが起きてしまっているのです。

じゃあどうすればいいのか?というと、昔の職人のようにじっとその人のやっていることを観察するしかないのかもしれません。教えを乞うても言葉からは学べない、というとミモフタモないような感じですけど、そのくらいの姿勢で行動を観察するほうが、見えてくるものが多いような気がします。

ほんとかよっ!?っていう自分突っ込みを、資料をまとめながらちょくちょくやっておくと、上っ面だけの退屈で平凡なプレゼンテーションから、少し抜け出すことができるはずです。

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2007年2月 8日 (木)

世代論 序章、かも・・・

     Baby

アイデア会議のようなもので、新しい企画をどんどん出してきたり、他人が出した今までにないアイデアに「いいよいいよ、それやってみようよ!」と乗ってくるのは、40~50代20代です。一番脂が乗っていて、体力気力とも十分な30代から40代前半くらいの中堅は、極めて保守的な反応を示します。他人のアイデアにはまず否定懸念から意見を言ってくるし、自分からアグレッシブな意見を率先して出すことは極めて稀です。

こういう決め付け、自分ならすっごく反発したくなるけど、恐らく彼らは(腹でムカついていたとしても)突っかかってくることもありません。

という話を友人のマーケッターにしたら、

そりゃしょうがいないでしょ、そういう世代特性なんだし。戦中派の親を持ち、高度成長やバブルというおいしい思いも知らない団塊Jrの典型的な特性でしょ。

とのこと。うーん、そう整理されればなるほどと思わずにいられない。

ある写真家は、「大御所と超若手は元気だけど、中間がいない」と言ってました。それが事実なのかはわからないけど、感覚的には似た現象かもしれません。

マーケティング的には、団塊Jrをターゲットにした商品やサービスが軒並み失敗しています。人口分布的にはボリュームゾーンだけど、この世代には時代を動かすパワーがないのです。別にそれが悪いわけではないですよ、本人たちもそういうことに生きがいや誇りを持っていないので、ノープロブレムなのです。だからそういうゾーンをターゲットにしても、波及していかないのです。

でも、どうしてもこういう人達と一緒に仕事をする機会が多いのも事実。いっそのこと、彼らを飛び越えて20代の威勢のいい向こう見ずな奴らと仕事をしたくなることもたまにはあります。でも、会社の中でなかなかそういうわけもいかず・・・

そういうことをわきまえながら、やっていくしかないようです。

熱くなってくれない物足りなさ”を感じつつ、彼らはきっと”暑苦しいうっとおしさ”を感じつつ、お互いにそんな世代ギャップを感じながらも、一緒に楽しく同じ仕事に取り組める接点をいつも探している今日この頃。なかなか、難しいものですね。

世代論は奥が深いのでまた機会があれば書いて見たいと思っています。

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2007年2月 5日 (月)

分析の塔へのヒキコモリ

     Ha

◆「分析という象牙の塔にこもる」シンドローム
リスクを毛嫌いし、完璧を求めるあまり、永久に分析し続けることによって、決定を回避する。
◆組織の中の人間は、自分が仕事をしている世界がどんなに欠点だらけか痛いほど知っている。だからそこは知り抜いている世界であり、だからこそ居心地の良い世界なのだ。

これだけ読めば、頭の固い保守派層を痛烈に皮肉った言葉、ってだけです。昔、ある新企画を事業責任者に直接提案したことがあるのですが、そのときに「うーん、いいのかどうか俺にはわからんなぁ、実際に注文取ってきたら金出してもいいよ」と言われました。
「わかりました、では買ってくれるところを見つけてきます」と言って引き下がりましたが、内心では“それで判断するのなら、経営なんて誰でもできるじゃないか”と憤慨しました。何もリスクを負わない判断ならこんな楽なことはありませんから。でも、この経営者はまだ良い方です。「オレにはわからないから、結果と一緒に持ってきてくれたら、後付けで承認するよ」って、自分の理解の範囲外であることをきっちり認めているわけですから。ちょっと恨みがましいことを書きましたけど、僕はこの人の日頃の経営センスには感銘していたし、結構好きでした。 (実際にはコンチクショーという気持ちで販売提携先を見つけてきて、この企画は実現したのです、その時は”どうだまいったか!”って感じで気持ちよかったなぁ・・・)

で、もっとも悪い例が、冒頭で紹介した“分析の塔にこもってしまう”症候群です。提案書を見て本筋のところで議論せずに、資料としての未完成な部分を指摘ばかりする人がいます。性格的に細かいところがきちんとしていないとそのまま放置して次にいけないというのは理解できるのですが、そうではなく、多くの場合は、次の2つに分類されます。

①なんとなく反対したいのだけど反対の論拠がうまく示せないので、瑣末なところを指摘して全体のロジックの信憑性をなくしにかかるタイプ
②自分の明確な考えを持っていないので、賛成か反対かも自分でわからないが、存在を示すために、とりあえず誰でもわかる瑣末な箇所を指摘しておくタイプ

いずれも、わかりきった正論を声高に訴えて、周囲の賛同を得ることで自己の存在価値を確認したがるタイプの人に多いですが、どちらにせよ、マネジメントとしては失格です。

マネジメントの肝とは、(突き詰めれば)長い経験に裏打ちされた“直感”である、という考えを僕は持っています。不確定な要素、予測できない項目を認識した上で判断するのが仕事です。それが出来ずに誰もが文句のつけようのないロジックを求め続けるのは、職務放棄しているのと同じであるとさえいえます。

もちろん、提案する側としては、そんなところで混ぜ返されることで、本筋の信憑性さえも疑われるようにならないように、デティールにもしっかり気をつけなくてはいけないのですが。

僕も、別の理由でデティールが気になることがあります。それは、自分自身のの企画が“気持ちの入ったものはディティールにも目が行き届いている”からです。だからそうじゃない企画書を見ると、ちょっと疑ってかかってしまう悪い癖があるのです。

でも企画スタイルもアウトプットも人それぞれです。細部の詰めが甘くてもセンスの良い企画はいくらでもありますから、それをもって全体の構想を判断してしまわないように、気をつけるようにしています。

分析の塔に入り込んで、つらいけど安心な場所に居続けることがないように、いつも何か新しいことにチャレンジしていたいな、と思っています。

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2007年1月30日 (火)

劇が演じられるところが

Dance

お仕事メモ続きます。

劇場があって劇が演じられるのではない。

劇が演じられるところが劇場になるのだ。

つまり劇は「在る」のではなく、「成る」のだ  寺山修二

お気に入りの言葉です。

劇場がないから演じられないんだよ、って愚痴を言ってばかりいて演じない人ってたくさんいます。環境を動かない言い訳にすること、たまに思い当たることもあります。そういうこと言っている人に、「あ、そう、わかったよ。じゃあ、はい環境を作ってあげたから存分にやってみてください」と言うと、今度は一生懸命別のやれない理由探しを初める人が多いですよ。黙って演じてみること。それに本当の価値があれば、そこが演じるべき場になるのだと・・・

ジャンルを自分で作ってしまえばいいのです。例えば、“私は苔専門写真家です”とか“私鉄バス文化評論家です”とか“ルアーに餌を付ける渓流釣り師です”とか・・・

市場を探索して、ニーズを見つけて参入していくのは、いわば先行している競合に対してアウェイで戦いを挑むようなものです。でも自分の得意とする分野が、いつか脚光があたって市場として急成長を始めたら、しめたもんじゃないですか。ホームで戦えるのです。

(ただこの場合、後発メーカーに競争の原理を変えられてしまわないようにしないといけません。大抵は大企業が力ずくで変えようとしてきますから)

演じられる劇場がないかと探して歩くよりも、演じたいところで演じてみる。もしかしたらそこに人々が集まってきて劇場になってしまうかもしれない。

というより、劇場になるまで演じられる人が“勝ち”なのです。

そして、ここはとても重要なポイントですが、勝てなくたって素敵なライフワークにはできるのですよ。何も勝ち負けのためだけに粘ることなんかないのですから。楽しめたらいい、その上知らないうちに自分がその世界のパイオニアになっていたらもっと楽しいかも、っていう感じです。

WEB2.0以降の世界ではそういうことが世界中のあちこちで、既に起こっているのです。いえ、今までもあったことですが、日が当たりやすくなっている、といった方が正しいですね。貴方がこつこつやっていることを地球の裏側の一人が見守っている、なんてことがもう当たり前のようになっているのですから。

劇場になるまで演じ続けることができる情熱粘り体力を持っていることが、(広い意味での)表現者にとっての必要条件じゃあないでしょうか?あ、あとちょっと他人より紙一枚秀でたセンスと・・・(笑)

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そういえば、劇場になっている人っていうのもいますね。乗っている人の周囲には乗っている人が集まって自然と熱い場ができています。そういう場に居合わせるのって、とても心地良いです。そういう場の中にいつでも立ち会っていたい、と思います。僕の周囲にも、今まさに絶好調で乗っている素敵な人たちがたくさんいます。そういう人たちと接触すると、パワーがもらえますよ!

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2007年1月25日 (木)

職人とアーティスト

冬の休日の午後。外でギャーギャーという鳥の鳴き声。シジュウカラ?

Bird1

ベランダに出ると鳩より2回りほど大きな鳥が3羽電線にとまっていた

 Bird2_1   Bird3

お仕事メモですが、今日はちょっと趣向を変えて・・・

役によって変幻自在、話し方から体形まで変えてしまい、毎回役者ってすごいな、と関心させられるロバート・デ・ニーロ。演技力では定評があり、こんどはどんな役を演じきってくれるのだろうと、いつも楽しめる役者の一人です。一方、寅さんシリーズをはじめ様々な作品に登場してきた笠智衆。どの作品でもあの独特な雰囲気は変わらず、”何に出ても同じ”ということが周知でありながら、すごい存在感を感じさせる名バイプレイヤー。

どんな役にでも変身できるプロと、どんな役でも自分のスタイルに引き込めるプロ。この違いは、職人アーティストの違いかなと考えます。職人は注文をよく聞いて、何が望まれているかを見極めた上で、それに応じてきっちりと期待通りに、ときに期待以上の仕事をしてくれるもの。アーティストは請け負う仕事であっても、自分の世界のなかでどう表現をするかを考えて表現するもの。どちらもプロの仕事であり、優劣をつけるものではありません。

でも、これからの時代は、笠智衆タイプの方が強いかもしれません。役者の世界にもロングテールによる新しい競争原理が働くと思うからです。何をやらせても大根だけど、こんなシチュエーションのこの役をやらせたら誰よりもぶっちぎりにうまい!という役者がいれば、作品にあわせてそういう役者を如何に集められるか?で出来が決まってしまうでしょう。これまでは、そういう人を毎回探して集めることが時間も金もかかりなかなかできなかったわけです。オーディションはありますが、役者志望の限られた母集団の中からの選別でした。でも、これからはもっともっと広い世界から短期間で最適な役者を探し出すことができるようになってくるでしょう。能力はあるのに機会がなくてなかなか表舞台に立てなかった人たちが、自分をもっとアピールできる世界になりつつあります。そういう中では、「アクションヒーローからラブコメディの3枚目までどんな役でもこなせます!」というよりも、「意地悪い子供の役なら世界一!」という方がアピールできるのではないでしょうか?

ただし、映画の場合はエンターテイメントとして見る場合に、それだけでは語れません。職人役者が演じきる、そのテクニックを楽しむ見方もあるわけですから、一概には言えないことは理解した上で、です。

仕事でも同じようなことがあります。どんなテーマでもうまく料理できるオールランダーと、どんなテーマでも自分のやりたいことに引き込むスペシャリストがいます。本当に追い込まれたときは、後者の方が強いかも、と最近思います。もちろん、それぞれ自分のスタイルを自覚しておけばいいのですけど。

ということを言いつつ、職人役者のデ・ニーロのほうが好きだなぁ、僕は(笑)

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2007年1月19日 (金)

マーケティングにカブレない

お仕事メモ-その4

最近の若い有能な奴って、「当て方」「成功」の話に、なによりも熱心になっている。熱心であるのはマーケティングだと。それだと、枯れていっちゃうんだよね・・・

若いとき、具体的に言えば入社3年目から販売促進とか販売計画、商品企画などの仕事をするようになった頃のことだけど、とにかくマーケティングの本を読み漁りました。消費者心理を分析して、“このツボをこう押せばこんな反応がかえってくる”という仕掛けがゲーム感覚で面白かったことを思い出します。なにせ、まだまだ社会人になりたてで、そういうテクニックを駆使してヒット商品を出すことがかっこよく見えたし、実際にサクセスストーリーにはその手の話が今でも多いですよね。なんだか、マーケティングのテクニシャンのように、時代の風を読んで><仕込んで><仕掛けて、まんまと大きな風を起こすことができた、って言うのは、マーケティングに関わっている人なら、メーカーであろうと広告代理店であろうと夢なんだと思います。「ヒットの仕掛け人」なんていう特集に出てる人、あんな感じ。僕も、そんな「ヒットの仕掛け人」を夢見ていた時期がありました。いや、今でもそういう何かデカイ仕掛けを構想したり、シナリオを描いたり、画策したりすることは結構好きだったりします。まだまだ枯れてはおりません、はい(笑)。まだまだしっかりクリエイター、プランナーとして現場で戦える現役と思っています。

だから、そんなノウハウドゥハウは現在でも大きな関心事であることに変わりはないし、そういうテクニック論はビジネスをする以上は避けて通れないものだと思います。ただ、その前に考えるべきことを考えているか?やるべきことをやっているか?と言うことを最近よく考えるようになりました。

それは自分の“立ち居地”と“目指すもの”を明確にすること。何を作るか、どう売るかの前に、我々にしか生み出せない普遍的な価値は何かを明確にすること。そこがその都度ブレたら、流行を追いかけても何も残らないのです。

来年は何色が流行るか?ばかり考えていては、自分たちで流行の色を作ることは永久にできないのです。毎年流行の色を追いかけて変化させていくよりは、自分の色を黒と決めたら、その黒が周囲の流行の中で置かれるときのギャップをどう演出して調整するか、がマーケティングなのだということです。自分たちが何色かを決めるツールがマーケティングではないということです。

別の言い方をすれば、マーケティングでモノは作れない、ということです。作りたいものが今の市場でどう評価されるか?を見極めてハードルの高さを測り、それを乗り越える手段を考えるのがマーケティングであることだと思います。ほら、そう考えると情報過多の息苦しさから離れて、どっしりゆっくり自分を見つめなおすことができませんか?

劇作家の鴻上尚史さんが、こんなことを言っています。

「観客からアンケートをとる。一つ一つに一喜一憂しないで読んでいくと、トータルとしての反応が見えてくる。でも、見えてきたからといって、それに乗るかは別の話。乗ってもいいと思う要求もあれば、それに乗ってしまうと我々ではなくなる、自分の作りたいものではなくなるということがある。基本的に、お客さんはオンリーワンを観に来る、逆に言えばオンリーワンにならない限りお客さんは来ない。ただ、お客さんはクリエイターでもないし、わがままで贅沢で正直だから、自分の経験の中で気持ちよかったこととか、面白かったことと比較して語る。これを聞いて欲求に応えようとすると「オンリーワン」ではなくなる可能性がすごく大きいので、そこは慎重になる。」

とても重要なことだと思います。

それに乗ると我々でなくなる、では我々ってなんなのだ?ということですね。そんなこといっても、それは芸術の世界でしょう、我々はビジネスなんだよ、という批判もあるかもしれません。でも、そうとは思いません。

岸田雅裕さん(ローランド・ベルガー/元パルコ)がこんなことを書いています。ちょっと長くなりますがとてもわかりやすいので引用します。

◆ユーミンと桑田佳祐

用賀のレストランで普通の女の子の話を漏れ聞きながら自作の歌詞に盛り込んでいき、秋にアルバム発売と同時にツアーが始まり、新さくら丸でのクリスマス船上パーティ、苗場スキー&コンサートと続いてフィナーレを迎える大変マーケティング的な取り組みをしてきたユーミン。毎年市場の声を聞いてポジション修正していたはずだったが、90年代半ばからその神通力は急激に低下する。彼女のコアファンである「新人類」は洒落たライフスタイルを手に入れてしまっていたし、その後の団塊ジュニア世代には貧乏臭く映るようになった。アイデンティティを明確にしないまま、市場の声に流されて。気が付いたら市場には断層があり、価値観の不連続なグループがターゲット年齢に入ってきたときに、見捨てられてしまった、ことになる。綿密なマーケティングで、時代の(ちょっと手を延ばせば届きそうな)1mほど先をいつも示してきたユーミン。確かに一つの時代を作ったと思うけど、今の桑田と比べてみると、なんだか消耗してしまった、という感がある。

BMWでは、直接的に顧客の意見を取り入れることはしないといいます。どんなに売れても、自分たちのアイデンティティと異なる層への拡散を制御することが重要であると考えているからです。顧客起点とはいうが、そこに何かヒントが隠されている場合があるというだけで、顧客自身が欲しいものを正確にわかっているということはほとんどないのです。まず、自分のやりたいことを先に考える。もちろん、市場や顧客の声を聞くこともあるが、それは自分のアイデアがどのくらいハードルの高いものなのかを測り、それを超える施策を考えるためである。ハードルが高ければ、普通は競合も少ない。それだけヒットしたときの見返りは大きいものになるはずです。一方、日本のクルマメーカーには顧客の声を取り入れているところが多いです。その結果、クルマが加齢する。モデルチェンジ毎に平均的なものになっていくのです。

プロシューマーの出現や、送り手と受け手の情報格差が大幅に縮小してきてはいますが、世に問うものを消費者に聞いていて、作り手の存在価値があるのだろうか?というちょっと過激な疑問を投げかけるプランナーも最近出てきました。マーケットが言っていることを聞くのではなく、自分がターゲット顧客ならどんな製品やサービスが欲しいかを考えることに価値があるのだ、という主張ですね。

まずは、こういう議論をしっかりすることから始めるべきだと思いますが、実際には全く別のジャンルで仕事をしてきた人が、調査報告書の上っ面な部分を拾い読みして、「団塊世代がアクティブシニアとして今後の趣味・余暇消費を牽引していくので、そこにミートさせる」などと簡単に語ってしまうのが現状です。そんなことは、コンサルタント、調査会社、広告代理店の新入社員の研修テーマでも導き出せる分析です。いえ、それ自体は意味のあることだし、重要なことです。でも、それは同じ土俵に立つための基礎データであったり、自分たちのやりたいことと、時代の価値観のギャップを見極めてどのくらいの時間軸でマーケティングを構築していくかを考えるものです。メーカーと、コンサルタント、調査会社、広告代理店の一番の違いは、何をという部分を自分たちで考えるか、それ自体も余所から持ってくるかの違いだと思います。

ちょっと熱く長々と書きました。こういう話しって「ああビジョンね」で終わらせてしまう人、結構異多いです。どんなマーケティングの入門書にも書いていることですから。ビジョンの重要性はあたりまえすぎて、スッと頭に入ってしまうだけに、そのまますっとそのまま通り抜けてしまうのです。正論すぎて、定着しすぎて、純粋すぎて、それだけにあんまりそこに留まっていることが、ちょっと青臭く照れくさい感じがしてしまうのかもしれませんが、やっぱりこの基本に戻ろうよ、って最近またあらためて強く感じているのです。

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2007年1月14日 (日)

無為自然

釣りネタがないので、お仕事メモ3回目です。
(渓流釣りブログから来てくれた人すみません)

最高の君主(リーダー)は(無為自然の政治を行うので)、人民はその存在を知ってはいるが、何をしているかは知らない。その次の君主には、人民が親しみと賞賛の気持ちを持ち、その次の君主は畏れられ、その次の君主は侮られる。君主が(無為自然の政治を行い)余計な発言を差し控えれば、事が成し遂げられた時、人民はみな「我々がやったのだ」と言う。人民にこのように思わせるのが、最高の政治である。     老子-第17章

奥深~い言葉、そりゃ老子ですから(笑) 
これまで「よっしゃっ!やったぜっ!」って思ったことは何度もあります。それが、実は上司の手の平の上で踊っていただけだったのか、単にボンクラで何もしなかっただけなのか、うーん(笑)。でもこういう言葉を知ると、ノータリンの偉い人も、実は深い思慮の元であーいう姿でいるの?なんて思ってみます。でも3秒後には、“いやいや、間違ってもあいつだけは確実に違うっ!”と、きっぱり思い直しちゃう(笑)。でも、そう思わせることが最高の君主だ、って老子さんは言っているわけだから、本当はどうなのかって、ずーっと後にならなければ分からないのでしょう。僕のいい加減さやうっかりミスも、こんな風に勘違いしてくれるいいんだけどなぁ・・・

会社の経営に置き換えてみると、日本のように組織のヒエラルキーを順番に上ってきた中からトップが選出される仕組みでは、こういうタイプの人は出にくいと思います。だいたい、こういうタイプの人は、出世の競争に勝ち残れないでしょう。評価する上司も自分が企業の競争の中で勝ち進んでいた成功体験をもって部下を評価します。癖の強いカリスマは輩出できても、最高の君主は出てこないはずです。米国型ように、現場のたたき上げのスペシャリストと、経営のスペシャリストをそれぞれ別々に養成していく風土でなら、まだ少しは可能性があるかもしれないけど、それでもカルロス・ゴーンみたいな人がやはり英雄になっているのが現実ですからね・・・いずれにしても名選手必ずしも名監督ではない、と散々言われていることなのに、未だに名監督の特別な勉強も訓練もせずに(おざなりな社内研修程度で)、あるとき突然管理者になってしまうというのは、現在の99%日本企業の現状であると思います。

で、この引用にも少し関係するのですが、最近若い人たち(といっても30歳台)と一緒に仕事をしていると、“任せること、口出ししないこと”がすごく難しいことだと痛感します。仕事の手際が悪いのならそれほどイラつきません。僕だって同じだったし、経験を重ねて要領を会得していけばいいだけです。テクニックなんて教えてあげれば済みますからね。でも、クリエイティブな部分で本当に悩みきっていない、流していて、体裁だけ整えた企画書なんて見ると、“こいつ、何考えているんだろう、若いくせに役人根性つけやがって!”とムカついてしまいます。で、「どこが貴方の発想なの?」「どこがオリジナリティなものなの?」「本当にこれでいけると確信しているの?」「どこまで広げて検討してみたの?」とまくし立てたくなる。で、たまにそれをやってしまい、鬱陶しがられるわけですね(笑)
クリエイティビティで勝負してくる奴って、未完成でもパワーがあるし好感が持てるので、ついつい応援したくなります。最近は、みんなパワーポイントで資料を上手に作るテクニックは上達してきたのだけど、手書きの殴り書きで勝負を挑んでくるような提案をして欲しいなぁ・・・

ただ一方で、そういう“勢いで”書いた企画書は、少し寝かせてみるのも大切です。もちろん勢いで進めてしまうものもあっていいんですよ、100回に1回くらいはネ。でも大抵は、「これだ!」と思ってまとめた直後は、気持ちが高ぶっているので、冷静な評価ができないものです。一服したり、風呂はいるくらいではその熱は冷めないですね、少なくても僕の場合は。で、じゃあどうするかというと、別の仕事を数日するとか、2-3日釣りに行くとかします。少し距離を置くことで自分でも冷静に評価できるようになるから・・・僕の机の引き出しには殴り書きの企画書のようなものが数百枚ファイルされていますが、今見直せばきっとすっごく恥ずかしいものが多いはず。でもそれでいいのです。書くときは勢いで、見るときは冷めた目でいじわるく、というのがよいと思います。

脱線しますが、これって写真でも同じかな?撮ったときは気持ちが高揚しているので、写真そのものの評価ができないことが多いです。写真を見ても写真に写っていない撮ったときのその場の雰囲気や感動まで脳内で一緒にして鑑賞してしまうのです。それが1ヶ月くらい経って見ると、とても素直に見ることができます。自信作がつまらなく見えたり、気にも留めなかった写真がすごく良い作品に思うことも結構あります。フォトコンテストなどに出す作品は少し時間が経過したものから選んだ方が良い場合が多いと言いますよね。その時間差の面白さって、フィルム現像の楽しさにも繋がるものじゃないでしょうか。

ということで、たくさんの業を持って俗っぽく日常を過ごしているので、無為自然なスタイルなんてこれからもできそうにありませんが、たまに思い出してみると、その時だけほんのちょっと頭のリフレッシュができるかもしれません。

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