那珂川★鉄橋下
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西麻布で某セミナーがあったので、帰りに岡本太郎記念館に寄りました。
作品点数は少ない。向ヶ丘の太郎美術館に今度は行ってみよう。
問題:
ドアが3つあり、当たりは一つだけです。あなたが一つのドアを選ぶと、残りの2つのドアのうち、はずれのドアが知らされます。そして最初の選択を変更するチャンスを与えられます。あなたはドアの選択を変更しますか?しませんか?
さぁて、どちらを選びましたか?
多くの人の回答は、「変更しない」です。僕もそうだった。理由は、残りの2つのドアであたる確率は50%だから、変更しなくてもしても同じ、ということ。
でも、正解は「変える」です。変えることで、確率は2/3に上がるのです。
これ、ちゃんとした確率論の話です。
じゃあ、これは?
お隣に引っ越してきた家族に、二人の子供いました。上の子は女の子であることがわかっているのですが、下の子はわかりません。下の子は、男か女かどちらの確率が高い?
回答は次のエントリのときに~ ![]()
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座右の銘は?とか、好きな言葉は?聞かれても「特にありません」と答えてきました。”一期一会”とか定番モノってつまらないし、”明日出来ることは今日やるな”みたいなちょっと捻くれた洒落も、すぐに飽きてしまうし。
でも、なにか考えておいた方が、その場のつなぎにはいいんですよね。
で、最近は ”悠々として急げ” です。
なんか語呂が好きって程度で、とくに深い理由はないんですけどね。
開高健のこの言葉ですが、「festina lente」というのが元らしいです。
フェスティーナ・レンテーとはゆっくりといそいでという意味の言葉で、
古代ギリシャの悲劇作家ソポクレス作「アンティゴネー」第231節に関わる語だそうです。
そういえば、尊敬する人は?とか聞かれても困っちゃうなぁ、たくさんいすぎて・・・
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誰もが感動しそうなテレビ番組で、ちょっとやな感じがしたことを書いてみます。
チャリティオークションの番組だったのですが、ちょっとモヤっとした気持になりました。カンボジアに学校を作ろう!というチャリティだったのですが、芸能人の絵を高額で落札した人がインタビューを受けて、感極まって目をうるませていたのです。欲しいものが手に入ったからではなくて、自分も学校を作る役に立ちたくてそれができてうれしい、とテンションが高まってしまったんですね。
でも、オークションって需要と供給のゲームでしょう。共感して感動して泣いてしまうくらいなら、寄付すればいいのです。チャリティにかけるものを無償で提供する側は、共感してもいいけど、買う側は冷静に買えばいいし、楽しめばいいはず。
タレントの素人絵だけど大ファンだからゲットできて最高ーって泣いちゃうのならいいけど、チャリティの企画に酔って泣いてしまう姿に、とても違和感。そういう場の雰囲気にする演出が、密室で昂って高い羽毛布団を買わせる商法に匂いがする。いえ、制作側に悪意なんてないのはわかってますけど。
なんか、あーいう場に、冷徹に商品価値を計算して掘り出し物を落としにくるプロのオークションの人がいたら、きっと浮いてしまうと思うのです。おまえはカンボジアの子どもたちを見て何か感じないのかっ!って。でもね、それはそれだしオークションってそういうものじゃない?普通の人が変に見られる場って、やっぱり場が変なんですよ。
誰もが反論しない”正論””正しい行い”は、あまり声高に言わないほうがいいと思うんですね。きっとあの番組をみて一緒に感動した人はたくさんいると思うので、何ひねくれた見方しているのさ!って怒られそうですけどさ。
ついでに、僕のきらいな番組は「田舎へ行こう」だっけ?芸能人が田舎にいって、知らない家に飛び込んで泊まらせてもらう企画。で、翌朝、「とっても良くしてくれた」、「一晩だけだったけど暖かさに触れることが出来た」と感動しながらその家を去る、というストーリーが繰り返される。でもさ、初対面の人を家に泊めるなんて普通はしないでしょ、それを田舎の人の暖かさ、って安易な感動に持っていく演出が臭すぎる。珍しい芸能人であることと、なによりもその後ろで回っているテレビカメラと多数のスタッフを見て、安心しているわけですよ、大抵はね。テレビでちょっと見たことあるナ、ってだけでふらっと訪ねてきた人を簡単に泊めてあげるなんて、普通しないでしょう。田舎=素朴=人情=親切という、あまりにもステレオタイプな決め付けで、とっても鼻につくんですよね。最初は必ず何軒か断られるのだけど、普通それのほうがまっとうな家なわけです。が、視聴者は「あー、また断られた、かわいそう、がんばって」って見ちゃうんでしょう。
あー、なんかじじ臭いテレビ批判になっちゃった。こういう話は今回だけにしとこっと。
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芸術はうまくあってはならない。
芸術はきれいであってはならない。
芸術はここちよくあってはならない。
芸術はいやったらしいものである。
40年以上前に、芸術論としてこういうことを熱く語っていた人だと知る。うまいということは何かと比較していることであり、比較の上で芸術は成らないのだと。新しさここそ芸術であり、新しいということは、それを見る人にとてもストレスを与えるものです。みな自分の体験や価値観の中で鑑賞しようとするものだから。だから、ゆったりほのぼのしたものは、いくら上手にできていても、ある”形式”の上に成り立っている場合が多い、といいます。
芸術とはあったら生活に潤いや味わいを与えてくれるデザートではなく、生きる上での本能的なエネルギーである、という迫力に酔わされた一冊でした。自分としては受け入れがたい部分(必要条件ではあるけど、それで芸術にはならないだろうという突っ込みどころなど)もいくつもあるのだけど、そのようなここは納得、ここは異議あり、ということではなく、「岡本太郎論」として十分楽しめました。
今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫)
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しばらく更新をお休みしておりましたが、またぽつぽつと更新していきます。
岡本太郎著「今日の芸術」という本を文庫で見つけたので読みはじめるところ。子供の頃は、目玉ぎょろりの爆発おじさんというイメージしかなくて、今で言えばちょうど”気合だぁー!”のアニマル浜口さん的な存在だった。その後は、アクの強い狂気の芸術家という感じでしか見ていなかった。でも、なんかどうやら、やっぱりすごい人だったみたい。太陽の塔を題材にした小説がこれだけあることからも、そりゃただの奇人じゃあなかったんでしょうね。内容については、また紹介できるかも・・
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