絶対数学
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CS(Customer Satisfaction)=顧客満足度の向上は、仕事のプロセスをしっかり構築して組織能力で実現できるものです。しっかりと観察し地道に分析する中から、ユーザーの使い方や不満点が見えてくるからです。だから観察のコツ、分析のテクニックを学べば誰でもできるし、分業も可能です。
しかし少し前から、満足させるだけでは不十分であり、顧客を歓喜させるような価値提案が必要であるということで、CSならぬCD(Customer Delight)=顧客歓喜という言葉が注目されていました。このCDというのはCSの延長、強化したものと考えると誤ります。
歓喜できる価値のアイデアは一握りの人にしか見つけられない、と経験上言い切ります。
ということから、マネジメントとしてはCSは組織プロセスのマネジメント、CDは人選と権限委譲のマネジメントスキルが求められます。しかし、まだまだこの2つを混同してひとつにまとめて論じる、取り組む人が多い。
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札幌への日帰り出張、飛行機の中で久しぶりに「広告批評」を読む。
作家の橋本治のコラムに謝罪会見についての見識を見つけ納得。
曰く・・・
謝罪するというのは、謝罪しろと要求することではない。このままではスポイルされてしまうから、謝罪させてください、又仕事させてください、と本人が申し出るものである。今の謝罪会見は、儀式としてそれをやることで次の日から又普通の仕事に戻れるというものになってしまっている。謝罪会見を開いたけどマスコミが誰も来てくれない寂しいものでした、っていうのが一番本人に応えるものになるだろう。事務所が、「謝罪会見を開くとそれで罪は消えたと思ってしまって又繰り返すかもしれないので、本当に反省したと思えるまでは謝罪会見はさせません」っていうのがあってもいいのではないか。謝罪させるべきだと詰め寄って、その謝罪の仕方があーだこーだというのはちょっと違っていないか?
などと続く。
その後、ヒールという演出についての話になるのですが、それもなかなか面白かった。
人間って確かに心底怒ったら相手の顔を見たくもなくなるし、誤って欲しいと思わなくなる。とにかく俺の前から消えてくれと。謝罪の機会を与えるということは、ある意味それだけで許す余地を与えてやっていることですね。
僕はどうやら、怒りの沸点が低いようです。それはときに、周囲の仲間をイラつかせることもある。なんでもっと怒らないの?って言われることがあるのです。耐えているとか許しているとか、そんなかっこの良いものではなくて、なんか悲しくなってしまって怒るタイミングを逃してしまうんです。適切なタイミングでちゃんと怒ることって、相手にも自分にも大切だ、と思うのですが性格なんだよなぁ~
などと考えた小一時間でした。580円の小さな雑誌、お薦めです。
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タイヤ公園 子供の頃からあるけどゴム臭いので好きじゃなかった(笑)
「消費者」という言葉は、私作る人あなた使う人という区分けのイメージが強すぎるので、最近は違和感を感じて使うのを避ける人も多くなってきた。それで、代わりに「生活者」なんて言い方をするケースもある。最近では「パートナー」と言う人もいる。(そこまではどうかと思うが、意図はよくわかる)
言葉は時代によって変わっていく。
知り合いのブログで紹介されていたので深沢七郎著「生きているのはひまつぶし」光文社を読んでみた。生を受けたことに感謝なんてしないね、仏教なんてインチキだ、富士山よりヌードの方が奇麗、などと小気味良い話が満載。面白かった。これに触発されて、昔読んだ勝小吉(海舟のお父さん)著「無酔独言」とか勝海舟著「氷川清話」をもう一度読み返してみようかな、と思っている。
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最近流行りのビジネス系新書っぽいタイトルにしてみました(笑)
でも、湯豆腐の原価や利益構造を分析するわけではありません・・・
若いころは神社仏閣などは足早に通り過ぎてしまう方でしたが、
最近は写真への興味と共にお寺巡りも楽しめるようになってきました。
北志向が強い自分ですが、京都もこの年になって少しづつ楽しめるようになってきました。
で、昔から思っていたことですが、
「京都の湯豆腐はなぜ高いのか?!」
です。
確かにスーパーで買う豆腐よりおいしいと思いますよ。
でも、でも、たかが豆腐じゃん!
そこに田楽(これも豆腐)と形ばかりの精進揚げが2,3点ついて
ご飯とみそ汁セットで4000円はないだろうって、思いませんかぁ?
「老舗」「佇まい」などの暖簾代、場所代込みだとしても、です。
国際観光都市というポジションに胡坐をかきすぎじゃあないかぁっ!(笑)
しかも、火に油のように腹立たしいのは、ガイドブックで
「京の湯豆腐が3000円とリーズナブルに楽しめるお薦めランチスポット」
なんて、その商売に取り込まれて紹介していること。
ライターはほんとに湯豆腐3000円でリーズナブルと感じるんですかね?
なんか感覚ずれてないかなぁ、だって今・・・
東京で4000円でランチ食べようと思ったらどのくらいのものが食べられるか?
と考えちゃうんです。
国産ヒレ牛ステーキをメインにしたフルコースだって食べられる値段です。
銀座のゴージャスなお店でフカヒレ豪華ランチコースだっていけますよ。
ついでに書くと、京野菜っていうのもイメージ先行しすぎじゃないでしょうか?同じくらい新鮮でおいしい長野や那須の高原野菜だったら、山盛りたらふく食べられるのに、”京野菜”という名前が付いた途端に、高価な食材になってしまうような気がしてますが、なにか隠されたマジックがあるのでしょうか?
ということで、
いかにこだわりの出汁、豆腐を使っていても京都の湯豆腐は高すぎ!の結論に至る。
そこで
老舗湯豆腐と変わらぬ味で、豆腐の量は2倍!価格1280円!
という設定で勝負をかける人が現れないかしら。
京の味のわからん無粋な考えだと笑われることを覚悟して、
京料理のユニクロ出現!湯豆腐の価格破壊王! です。
以上、京の”粋”とは縁遠い、ただの豆腐好き人間の戯言でしたぁ~
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今年の年賀状を見返していて、写真印刷が以前よりも少なくなっていることに気がつきました。やっぱインクジェットのインク代ばかにならないし、時間もかかるからなぁ、みんな学習しているんだろうなぁ・・・と思ってみたけど、単にみんな年取って年賀状にするような子供の写真も撮れなくなっただけかも、って気がついた。
六郷から川崎を望む~朝夕だけのかもめのサンクチュアリ
マイケル・ポーターは、事業戦略には結局のところ3つのパターンしかないと言う。
(1)コストリーダシップ戦略(低価格戦略とは異なります)
(2)差別化戦略
(3)集中化戦略
シンプルでわかりやすい分析。ただし、競争に勝つことは、経営の最優先課題ではないということも同時に知っておいて欲しいと思います。シェア・売上・利益が競合よりも少ないこと自体は、経営課題でもなんでもない。競争に勝つということ自体には顧客という視点がないということ、そして競合に振り回されることになるということ。だから、勝つことに一喜一憂してはいけない、ということです。
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低空でホバリング中のヘリをVR18-200mmレンズで捕らえる
(周辺光量落ちが気になりますが、こんなもんでしょうか?)
プレミアムとは機能的価値<Quality>と情緒的価値<Emotional>が高いレベルで融合したときに生まれるブランド価値です。機能的価値が高いというのは、単に競合他社と比較して優っているという次元のものでは不充分で、“レベルの違う上質”を約束できるものでなければなりません。また情緒的価値は性能・機能では表せない歴史・思想・理念・こだわり・行動、そして何より語り継がれる顧客をバックボーンとした商品周りのあらゆるものから形成されるものです。いわば、究極のモノ作りと究極のストーリーがプレミアムブランドを育てていくのです。
日本でプレミアムブランドが育ち難いのは、この情緒的価値のストーリーがないことと、あってもそれを伝える適したストーリーテラーが不在であることが大きな要因でしょう。ストーリーというと開発ストーリーがすぐに思い起こされるかもしれませんが、実はストーリーは顧客が作っているのです。上質なストーリーを顧客が作り、それに触発された限られた感度を持つ人たちが新たな開発に挑戦し新しい驚きを創造することで、次のストーリーができていくというプロセス。
香港で食べる中華料理がおいしい理由は、料理人の違いだけでは説明ができません。シェフを日本に連れて来ても、食材を輸入しても、長期的に見るとあの味は育たない。なぜなら、香港の顧客が香港の味を作っているからです。顧客の高い要求があるところに、高いレベルの味が生まれるのだということです。(食については門外漢なので的外れな引用かもしれないけど、言いたいことはわかってもらえると思います)
レクサスは高性能だけど文化とか思想が今は感じられないのです。日本の自動車メーカーとして、今後は世界の高級車市場に次のビジネスチャンスがある、というマーケティング戦略は理解できるけど、マーケティング戦略に顧客が共感はしてくれるわけではないのです。欧州車の歴史、文化(情緒的価値)に対抗して、いくら高性能、高機能(機能的価値)を実現しても、RESPECTはされるブランドにはなるけどPREMIUMにはなりません。単なる高級品、贅沢品としてラインナップを増やすだけです。もちろんトヨタもそんなことは百も承知なので、ショールーム作りを初めとして、ホスピタリティを重視した施策を進めているので、レクサスも昔のバブリーな高級車に比べて多少は品のあるブランドの香りは感じられます。でも、今はまだそれも巧妙なマーケティング戦略の一つとしか見えてこないというのが限界。言葉を変えれば、メーカーのこだわりではなく、広告代理店が作ったプロモーション戦略に見えるということ。実際にそうだあるか否かは関係なく、です。そう感じられるうちは本当の共感は生まれないと思うのです。レクサスを否定しているわけではありません、腰を据えて時間をかけて気づいていかないとプレミアムブランドにはならない、というです。
日本発プレミアムブランドをもっともっと作っていくべきです。
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