興奮と感動
興奮とは、普通でない刺激を与えられることで感じるもの
感動とは、普通のことを素晴らしくやることで生まれるもの
だから、興奮は慢性化し慣れてしまうけど、感動は劣化しない
背中に回したグラブで球をキャッチするテクニックで観衆を興奮させることはできるが、何度も見るとだんだん飽きて、興奮は持続しない。さらにもっと強い刺激、新しい刺激が求められていくので、どんどん追い詰められていくことがある。一方、打った瞬間の最初の一歩の反応が素早く、落下地点に早く入って球をなんなくキャッチする凄さは、何度見ても感動できるものであり、その感動は薄れにくい。というような感じでしょうか。(もちろん、興奮が時として感動に変わることもあるのだけど)
「感動させることとは、普通のことをどれだけ長く、深くやり続けられるかなんだよ」
という、すっごく良いお話をあるアーティストから聞きました。
一時的にすごく話題になる機能というのがあって、その機能が付いないだけで、もうその商品そのものの価値全部が否定されてしまうようなことがあります。作り手も売り手も買い手も、その機能が搭載されていることが、その商品の先進性を測るバロメーターのように見てしまうのですね、ヒステリックなまでに。興奮競争をしているプレイヤーはその土俵から降りるわけにはいかないのですが、感動を目標にしていると、”わかった上でやらないい判断”ができると思います。これ、とても難しいことです。だって、総スカン食ってしまう危険と裏腹ですからね。でも、やらない勇気の責任は企画にあるのです。ということが前のエントリ「整理術」につながってもいるのです。
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